1-07公明党は「第3極」になるべきか1.政権交代論

「いつでも強い政党の味方」の是非~

日本の政治には、公明党という特殊な政党がある。創価学会という宗教法人によって結成された政党であることは知られている。それが特殊な点である。多くの信者と、彼らの知人への熱心な働きかけによって、多くの票を動かすことのできる創価学会であるが、その力は、1位にならなければ当選しない小選挙区で候補者を当選させるには遠く及ばない。ところが自民党に投じることで、落選しそうな候補者を当選ラインの上まで押し上げるだけの力を、少なくない選挙区で発揮できる。自民党の候補者には、創価学会の票を確実に得ようと、小選挙区は自分へ、比例は公明党へ投票することを呼びかける候補すら続出した。また、わずかな選挙区では自民党が候補者を擁立せずに公明党に協力することで、小選挙区でも公明党の候補が選出されている。一部の選挙区で確実に議席を得ることを重視する公明党にとって、非常にありがたいことだろう。

宗教を基盤とする政党は他の先進国にも多く存在する。長く政権を担っている、ドイツのキリスト教民主同盟が代表的なものだといえる。しかしドイツはキリスト教徒が多数派の国であり、キリスト教民主同盟は、カトリックを基盤とした前身の中央党とは異なり、カトリックとプロテスタント、双方を基盤にしている。要するに一部の人々だけが信仰する宗派を母体としているわけではないのだ。

その点、公明党は、仏教の日蓮宗の、1つの大きな信徒団体であった創価学会を母体としている(1991年に破門となっている)。戦前同会は迫害を受けたが、戦後はそうではなく、公明党は、例えばキリスト教徒が多数派の国家におけるイスラム教徒のような、マイノリティ-を代表する政党とは違う。

公明党は、政教分離を建前としている。これは創価学会と公明党が、同会を批判する著書の出版を妨害したことで批判を受けた際に採られた方針であり、本来そうあるべきで、かつて目指していた国立の戒壇の建立など、特定の宗教のための政治を目指されては困る。しかし宗教色を薄くしたことで、何のために存在しているのか、分かりにくくなっていることも、確かだ。

ヨーロッパの国々でよく見られるキリスト教の政党は、たいてい穏健な保守で、保守第1党であることが多い。つまり理念、政策的にも多くの国民の需要に応じて形成され、存在してきているといえる。この点で、右翼、中道右派、中道左派、左翼政党などが存在する中、それらとは別に存在していた、帝政期、ワイマール期のドイツの中央党は異なる面を持っているのだ(中心部がプロテスタントであった帝政期には、カトリック教徒を代弁する中央党が必要とされていた)。

日本では、保守政党(保守主義・自由主義政党)としては自由民主党がある。社会主義政党、社会民主主義政党としては日本共産党、日本社会党の系譜がある。より現実的な中道左派政党としては民主社会党があった(現在は民進党系の一部)。それらは共産党を除いて再編を経たが、それぞれの系譜が今も存在している。

公明党は中道政党を自負しているが、上に挙げた政党のどれもが目指しておらず、かつ必要なものを目指しているのだろうか。確かに公明党に最も近いはずの民社党は、中央ど真ん中とは言えず、分野によってやや右であったり、左であったりした。だが大まかには近かったからこそ、自民、社会、公明、民社、共産各党の中で、公明、民社両党は仲が良かったはずだ。

公明党結成時、上に挙げた政党は全て存在していた。その中でわざわざ、政教分離に疑義のある政党が存在する必要があったのだろうか。場合によっては近い政党と票の奪い合いをすることになってしまう。

確かに、公明党は社会的弱者に配慮した政治を目指しており、それに他の政党が公明党以上に熱心であったかといえば、必ずしもそうではないだろう。事実、創価学会・公明党は、労働組合の代弁をすることが主であった社会党、どのような政策を唱えていようとも、社会主義に否定的な人々の受け皿にはなり得ない共産党が拾い切れなかった民意をすくい上げた面はある。しかし創価学会が、(他の宗教団体などと共に)大政党に働きかけても良かったのではないだろうか。社会的弱者にも、社会主義が嫌な人もいれば、創価学会という宗教団体が嫌な人もいる。それぞれの支持を得る公明、共産両党が対立するのも、不毛ではないだろうか。弱者と社会主義、弱者と宗教の相性がそれぞれ良いのなら、共産、公明両党が協力するべきだ。それが無理なことならば、社会的弱者を分断しないようにどちらも退場して、その声を届ける、イデオロギー色、宗教色のない政党が、需要に応えるべきではないだろうか。

政教分離の問題そのものに立ち入るつもりはない。筆者が一番の問題だと考えていることとは少しずれてしまうからだ。ここで問題としたいことは、政教分離問題と重なる部分もあるが、別にある。それには、個々では全く問題でないものを含め、いくつかの事象が合わさって、民主政治をゆがめる大問題になっているという面がある。その個々の事象を、まずは挙げていこう。

➀公明党の支持基盤である創価学会は国民の多くが信仰する宗教ではない。

②公明党の支持基盤である創価学会は、公明党に非常に強い影響力を持っている。

③公明党の支持基盤である創価学会の信者の多くが、公明、自民両党の動き、政策に関係なく、常に公明党、あるいは公明党の連立相手である自民党の候補に票を投じている(事情が異なる選挙区もある)。

④公明党の支持基盤である創価学会は、本来社会的に弱い立場の人々を多く会員とし、だいぶ変化してきているものの、公明党共々、そのような人々を助けることを旨としている。

⑤公明党は、主張が本来自民党よりも民主党→民進党に近いにもかかわらず、自民党と連立を組み、それを維持している。

⑥自民党が右傾化するなどの変化を見せても、公明党は同党との協力関係を維持している。

(つまり創価学会員の票は、公明党よりも、自民党がやりたいことをやるために利用される)

⑦2009年に民主党が政権を獲得した当初、公明党は自民党と距離を置こうとした(山口新代表が連立野党はないと発言、2009、2010、2011年の首班指名投票では自党の山口代表に投票した)。

⑨公明党は大阪では自民党と対立する大阪維新の会にも協力し、東京では自民党と対立する都民ファーストの会と組んだ。

(公明党の衆議院小選挙区当選者の多くが、自民党だけでなく維新も―希望の党も―対立候補を立てない中で当選している。公明党の小選挙区における候補者の擁立は、大阪に偏っている。このため、総選挙で対立候補を立てられることなどを恐れ、維新に譲歩する傾向がある。めずらしく対立関係になった2008年末以後の展開に注目である。)

※公明党は1993~94年には、小沢一郎の新生党と組んでいた。新生党は、その当時の、非自民連立政権の中心的な政党であった。新生党の結成時、自民党が下野して新生党が権力を握るとは限らなかった。しかし、新党ブームが起こっており、自民党はその中で、議席を30程度増やさなければならない状態となったことから、その可能性は高かった。公明党はもともと自民党の小沢一郎と近かったということもあるが、ここでも、最も強い政党と組んだと言う面がある。そして新生党は新自由主義的政党であったから、同党と社会党の溝が主に注目されてはいたが、公明党も、新生党と本来は政策が近いわけではなかった。自民党は公明党と連立を組んでから2年もしないうちに、新自由主義的な面を強めた。日本維新の会も新自由主義的政党であり、都民ファーストや希望の党はそもそもよく分からないが、そのような面があるようにも見える。公明党にとっては、強い政党と組むという戦略が、本来は自らと相容れない政党と組む結果を招いている。皮肉なことであるが、このことについては、お互いの弱いところを補完し合うというような理屈が用意されている。

 

以上を合わせて見るとどうなるか。「宗教的な理由で必ず支持をする少なくない有権者を抱える政党が、権力を持つ、自らに最も近いというわけではない政党を、それが権力を持ち続けられそうである限り、その姿勢にあまり関係なくひたすら支え続ける。」となるのである。指示通り票を投じる大量の有権者が、権力を握る(場合によっては確実に握ると見られている)政党に乗ることで、有権者が自ら考えて票を投じ、その力で、(次の)第1党を選び出すという面は、大きく後退してしまう。

また、自民党と公明党は、前者が保守的、後者が社民的、前者がより地方型、後者がより都市型という差異がある。だから政権に幅が出るとか、政権が極端なものにならないと言う人がいるが、それはつまり、公明党が自民党政権の弱点をカバーしているということでもある。大政党の弱点を、その政党と決して近くはないはずの政党が、半永久的に(つまり献身的に、と言って良いと思うが)補う状況など、他の先進国では考えられない(自公両党を保守ブロックと見ることなど、本来はできないはずだ)。ましてや自民党は、大政党を超えて、優位政党である。

以上の通りであるから自民党は、創価学会の存続に直接不利になる制度を導入するのでもない限り、何をしても多くの票を得られることになる(自民党が創価学会の働きによって得られる票は、衆議院の1つの小選挙区あたり、2~3万票あると言われている)。公明党が自民党のブレーキ役になっていることは確かだ。本来は、国民の多くが支持する第1党にブレーキが必要になるということは、少ないはずである(少数派の人々だけを不利にするような場合、支持者すら裏切って独裁に進む場合など。そうでなければ、ブレーキは世論調査や総選挙で、国民がかけるべきものである。そうでなければ、連立政権は、バランスが良いだけで―実際はそうでもないと筆者は思うが―有権者がその方向性を評価することができなくなってしまう。それではまさに、五十五年体制下の自民党単独政権のようである)。そして、自民党の優位政党の地位の維持を助けていること自体が、ブレーキ以上のアクセルになっているという面もある(良い政策だけアクセル、悪い政策だけブレーキというのは難しすぎるし、そもそも、第1党でもない中規模の政党が、単独でそれを判定することが問題である)。改憲について公明党は、自民党と協議して改憲案を出すことはしない姿勢だ。これは評価できる。だが、もし改憲を許せば、その内容でブレーキをかけたとしても、改憲をすることが以前より楽になり、再度改憲が、今度は創価学会・公明党の意に反して行われることで、結局はアクセルに足を添えていたのだということに、これも良し悪しは別としてなり得る。

また、公明党が自民党政権を左に動かすことが出来たとしても、公明党と比較的近い民進党系との差異がぼやける。民主党は公明党よりも本来遠い、維新の党と合流した。維新の党にいた民主党離党者と合流したところで政策が変わるというものでもないが、一部の非民主党出身者の力で民進党が右に寄り、自民党政権と民進党の意味のある差異が薄れ、どうでも良いこと、本来一致しているべきか、少なくとももめるべきではないことで、不毛な対決が繰り広げられるという可能性もあった(その民進党は消滅した。なお、安全保障などについては、維新の党の中でも、もともとみんなの党の左派であったと言える結いの党系は、右寄りではなかった)。

優位政党は多少なりとも弱体化すべきだというのが、1党優位性を批判する筆者の立場である。しかしそうでなくても、この状況は危険だ。なぜなら、大政党が弱体化する時、そこには理由があるからだ。それが解決されるわけでもないのに弱体化を免れては、問題のある大政党がそのまま、優位政党、与党第1党の地位を維持することになってしまう。

創価学会員とその働きかけに応じた人々の票が自民党に入っていなかった場合、これまでの選挙結果は大きく変わっていたと見られる。2003年の総選挙では、第1、2党の順位が入れ替わっていた可能性がある。ましてやそれが第2党に乗っていたら、自民党は大敗を喫していたであろう。選挙結果は、優位政党が更に優位になるよう、ゆがめられてきたのだといえる。また、優位政党の凋落を防ぐようにゆがめられてきたのだと言える。

かつての西ドイツでは、第3党であった自由民主党が、第1党であったキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟(厳密には姉妹政党による統一会派だが、キリスト教民主同盟だけでも第1党であった)との連立を解消し、1969年に社会民主党との連立に踏み切ったことで、総選挙でキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟を上回ることのなかった社会民主党を与党第1党とし、戦後積むことができていなかった与党としての経験を充実させた。自由民主党は1982年、今度は社会民主党との連立を解消し、キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟との連立を復活させ、その姿勢は少数決だという批判を浴びた(当時は3党制で、比例代表制が中心の制度であったことなどから、どの政党も過半数に届く議席を得られない状況が続いており、第3党の自由民主党がついたほうが政権を得ることができた)。少数決は確かに問題だ。公明党の少数決は特に、自民党を勝者にする手助けをしているという域を、あまり出ていない。しかし、日本ではそのような少数決がすでに存在してしまっているという面があるのだからとあきらめて、せめてドイツの自由民主党のような役割を、公明党には担ってほしいと、筆者は思うのである(しかし筆者は、自公両党が組んでいても政権交代は可能だと、信じたいとも思っている。はっきりと、公明党が付く方が政権を得るということになれば、創価学会・公明党に気に入られることが、大政党の最大の関心事となりかねない)。自民党の陣営から立憲民主党の陣営に移っても与党になれるかは分からないから、ドイツの自由民主党よりは勇気がいることだが、だからこそ、ただの少数決ではない価値がある。

ドイツの社会民主党は戦前に与党であったことがあり、戦後も日本社会党より現実的な政党であったものの、その与党への復帰は、社会主義国との関係改善など、当時としては危なっかしく見える面を持っていた。それでも同党は経験を積んで、2大政党の一方として、その後も、今度は自由民主党の力を借りずに再び政権を獲得したのであった(同盟90/緑の党との連立)。

公明党が自民党と組んだ経緯にも、大いに問題がある(自民党と社会党が組んだ経緯にも問題があり、それを思い出すと、つくづく自民党が有利な状況を実感するのだが、自社両党の関係については改めて詳しく見たい)。確かに都議会では、1979年から自公両党の協力が見られ、定着していった。その延長線上に、公明党と、自民党離党者による新生党との協力関係、合流(新進党結成)もあったといえる。

しかし、公明党が自民党(1993年の分裂の際の残留派)と連立を組む前、自民党の機関誌や一部の議員が、政教分離問題について、創価学会・公明党を攻撃していた。自民党が与党に返り咲き、まだ新進党を脅威と捉えていた時、オウム真理教の事件を受けた宗教法人法の改正に関して、池田大作創価学会名誉会長を参考人招致することで、創価学会、新進党に打撃を与えようとした(新進党から公明党系を引きはがす狙いも含んでいた)。これは創価学会、公明党系にとっては最も嫌なことであったはずだ。それにもかかわらず、自民党が機関誌の記事について内容が誤っていたと謝罪をしただけで(もちろん非公式に色々あったのだろうが)、公明党は自民党と連立を組んだのである。

公明党は連立を組んだ理由を、1党支配が政治腐敗を招くため、または、中道政治の実現のためだと説明した。しかし、自らと創価学会に対する批判をやめてもらうために連立を組んだという面があることは、疑い難い。そしてそもそも、都議会での与党化(社会党を与党とする美濃部知事の時代に始まっている)、自公協力は、東京都が創価学会の監督官庁であったことも要因にあったと考えられているし、すでに述べた出版妨害事件では、竹入公明党委員長が自民党の田中角栄に出版を辞めさせるように頼んだという経緯があった。

このような形で連立政権が誕生することは問題だ。同じ勢力を敵ならば攻撃し、味方ならばしないということは政界では多々あるが、それが理念、政策を全く背景としていないものである点がおかしい。自民党も姑息だし、やましいことがないのなら、公明党も堂々と受けて立つべきだ。創価学会を守りたい気持ちは分かるが、昨日までののしっていた相手を、恐れるあまり許すというのは、情けないとしか言いようがない。なにより、宗教法人と税制などについては、そのような策略なしに積極的に議論するべきである。

筆者がここで述べたことに対して、どのような反論があり得るか、考えてみたい。

1つには、どのような動機で投票しようと、有権者の自由であるということだ(もちろん違法性がある場合は別である)。これは創価学会員だけに言うべきことではないのかも知れないが、理念、政策、実績等を基準として選ばなければ、民主制は傷ついていく。選挙法に違反しなければ良いというのではなく、民主制は国民が大切にして、守っていかなければならないのだ。

もちろん、公共事業など、自らに利益をもたらしてくれる1つの同じ政党に、必ず投票するという有権者もいる。このような利益誘導政治の度合いが強くなることは問題だが、これは少なくとも、公共事業を中心としたばらまき型か、国の借金を減らすための消極財政か、という対立軸を、一応は生じさせる。しかし、創価学会の信者が公明党、自民党に投票すること自体は、このような対立軸を生じさせるものではない。宗教と政治の関わりは争点となり得るが、創価学会は宗教界を代表して自民党を支持しているというわけでもないし、利益のために票を入れるのと、信仰心から票を入れるのとは、やはり違う。

次に、純粋に公明党、同党と連立を組む自民党を評価しているから、両党に投じているのだという、反論もあるだろう。しかし公明党の理念、政策を支持している人間が、本当に、右傾化した自民党、それと妥協する公明党を評価できるのだろうか。疑問である。

安倍晋三が総裁であったとしても、自民党が自らに政策が一番近い政党であるというのなら、自らの政策が変わったことを明確にすべきである。自民党や民進党では党首選挙で政策が議論され、その結果によって政策が変わることがある。しかし公明党には、党首選挙が事実上存在しない。この点では共産党に近いから、同党にも言えることだが、なぜ、どのように変わったのか、もう少し、忙しい有権者にも見えるように、党内の議論を見えるようにするべきだと思う。もし議論すらしにくい状況であれば、まずそれを変えるべきである。

次に、公明党が弱くなると、自民党に対するブレーキが無くなる、公明党が付くことで政権が安定するという反論である。この2つをまとめたのは、同じ問題を含んでいるからだ。それは、有権者が決めることを、勝手に公明党が決めて、有権者から政治を遠ざけているということである。有権者が自民党に政権を任せたのなら、ブレーキなどいらない。公明党というブレーキ役の付いている自民党こそが良いというのなら、公明党は自民党支持者から比例票をもらったりせず、自民党支持者以外からも広くブレーキ役として支持を得て、もっと多くの議席を得ることができるはずだ。そもそも恒常的に連立を組んでいるのなら、「ブレーキがかかったあとの自民党の政策」を、自公両党が公約として有権者に示して、選挙を戦うべきだろう。

有権者が、各党の公約などを基準に投票した後、自民党とブレーキ役の政党が、政策等を詰める場合、国会における議論は。形骸化するだけでなく、「形」ですら、国民から見えにくいものとなってしまう。自民党とブレーキ役の政党との間で、すでに修正がなされたといえるものが法案等になり、その修正が野党も評価できるものであった場合こそ、すでに修正が行なわれているのだから、その修正のための議論が消えてしまうということになるからだ。

公明党の場合、少しは、左から自民党の政策に作用を及ぼすのだから、それが成功した場合、同じく自民党の左に位置する民主党→民進党が埋没し、自力で大した議席を取れない公明党だけが、その位置に残るという危険もある。公明党も単一争点型の政党でないのなら、自らの政策を多く実現させ得る地位を目指すべきだ。つまり政策が近い政党と組んで、自民党に対抗するべきだ。改めて述べるが、そうすることで、民進党系のいわゆる「何でも反対」は、容易に変わるはずである。

ブレーキに関することは述べた。もし、政権の安定を主な目的として自民党と組むというのなら、政権の安定に最適なのは単純小選挙区制である。自党の議席が減ることを気にして、小選挙区制と反対の効果がある、つまり過半数を上回る政党が現れにくく、連立政権になりやすい比例代表制中心の制度、状況によって比例代表制と同様の効果をもたらし得る中選挙区制(大選挙区単記制)などを唱えたりせず、公明党は単純小選挙区制を唱えるのが筋だろう。公明党が弱くなると自民党が悪くなるとでもいうのなら、そもそも自民党など与党第1党失格であり、自民党中心の政権の永続的な安定など、まやかしである。そして、その審判を下すのは公明党ではなく、やはり有権者であるべきだ。

最後に、それでも2009年には政権交代が実現したのだから良いではないかという反論もあり得るだろう。しかし、すでに述べたように、これは日本の歴史上初めての、有権者の選択による政権交代であった。2009年は、国政に民選の議院が誕生してから119年後である。次の同様の政権交代が、また百年以上先というのは困る。残念ながら、政権交代が定着したとは言い難い状況である。

2007年の参院選における民主党の大勝は、自民党の路線などが安定していなかったこと、自民党が飽きられており、かつ、民主党に政権運営失敗の「前科」が直接的にはなかったこと、そして小沢一郎の選挙戦略が自民党の変化にうまく対応したものであり、昔ながらの徹底したものであったこと、などなどが重なり合い、実現した。衆議院の総選挙と違って、自民党が好きな時に選挙をすることができないということも、とても大きかった。2009年の総選挙の当時も、自民党が支持を回復できていなかった上、経済情勢が悪く、自民党の対応も有権者に特別評価されてはいなかったこと、2004年の参院選でも、民主党がわずかに自民党を上回っていたこと、そしてすでに述べたことから、実現させたねじれ国会を利用して自民党を追い詰めても、民主党が大きな批判を受けずにすんだこと、これらが奇跡的に合わさって初めて、本格的な政権交代は実現したのである。これだけのことが起こらなければ政権交代が実現しないというのでは、きびしすぎる。次が200年後になっても、おかしくはない。もちろん、それは良いことではない(その弊害については改めて述べる)。