日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
歴史・戦後編No.17~22

歴史・戦後編No.17~22

歴史・戦後編No.17

新自由クラブという政党そのものの理念や政策に関する評価は別として、巨大な自民党からわずか6人が離党して結成した政党、つまり政権を取れないような政党が「自民党に投票したくなくなったけど既存の野党には入れたくない」という人の受け皿になったのは、各党の成長の機会を失わせたようにも思えます。結局新自由クラブも都市部でしか伸びず、自民寄りと野党寄りに分裂して、ほぼみんな自民党に復党という、冷戦後の保守新党の悪い意味での基本形のようなものになってしまいました。新自由クラブが野党として踏ん張っていれば、もしかしたらその後の変化にプラスに働いたかも、とも思います。

 

歴史・戦後編No.18

今の選挙制度にも問題はあると思いますが、中選挙区制というより単記制に戻そうというのは過去を美化していると感じます(政党の公認を得られない、得たくない候補が当選しやすいというのは考え方によっては長所ですが)。また、参院の選挙区制も問題があると感じます。自民党が比較的弱い都市部だけ複数区になっていて他は自民党に有利に1人区というのは・・・。

 

歴史・戦後編No.19

中選挙区の時代に全野党共闘をやっていたら自民党に勝てていたというつもりはありません。離れる票もあったと思います。しかし中選挙区を単独(限られた連携)で戦うより各党とも苦労し、議論し、成長していたと想像します。問題も起こったでしょうが、それこそ成長につながるものだと思います。幅などが狭いためにより容易であったとは言え、自民党を結成した諸勢力にはそれができていたという面があると感じます。

 

歴史・戦後編No.20

自民党総裁の中に志を持っていた人物がいなかったと言うつもりは全くありません。例に出した官僚派か党人派かという事も、政治家としての資質に関わる事だと当事者達は考えていました(官僚派は対米強硬的な議員が少なくない事でも党人派を警戒していたが、この違いは国家の在り方にかかわるもので、両派が同じ政党なのがおかしいという事になる)。しかしここで問題にしたいのは、この総理の交代を政権交代に準ずるものだと捉えて本当に良いのか、という事です。

 

歴史・戦後編No.21

自民党は、それぞれが一つの政党のような派閥の、連合体だと言われてきました。個性の強い政党が分立していた野党と比べると、やはり一体化しているメリットは大きいと感じます。ただしそれは何より自民党にとってのメリットであり、また自民党レベルの路線変更は他の先進国の政党だってしていますし、疑似政権交代はまやかしだと思います。

 

歴史・戦後編No.22

日本は戦前、分権的な制度の中で藩閥の要人がそれをまとめる制度外の存在であったように(天皇、藩閥勢力が脅かされないように分権的な制度にした)、優位派閥の(元)トップに権力が集まりました(実際はアメリカ次第だというのは今回は置いておいて)。そのような一党優位の中の一派閥優位+多党制でも、民意が反映、調整されるという見方もあります。しかしそれは、よほど経済が上向きの時か、問題を先送りにしている場合に限られると思います。

Translate »