日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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歴史・戦後編No.17~22

歴史・戦後編No.17 新自由クラブという政党そのものの理念や政策に関する評価は別として、巨大な自民党からわずか6人が離党して結成した政党、つまり政権を取れないような政党が「自民党に投票したくなくなったけど既存の野党には …

3人区に統一した、中選挙区制はどうか

中選挙区制について、かつてのように2人区や、5人区(最後には4つの2人区と、1つの6人区までできた)ではなく、3人区とした場合について考えたい。これは以前、公明党が唱えていたと記憶している。3人区にすると区割が不自然にな …

どうしたら良いか

筆者は小選挙区制に決して肯定的ではない。日本のように1党優位でなければ、小選挙区制も悪くないと思うが(どの制度にも長所と短所があるのだし)、日本では、優位政党である自民党を、その本来の力以上に強くしている制度であるからだ …

主な選挙制度のメリット、デメリット

まず断っておくと、本当は図や表で説明すると分かりやすいが、作成に時間的がかかるので、とりあえず図表なしに、筆者ができる限り分かりやすく説明したものを、公開することにしたい。   日本で知られている選挙制度のメリ …

自公連立と公明党

自民党との連立へと進むにあたって、公明党は地域振興券の発行という、効果に乏しい消費刺激策を自民党に採用させた。やり方に差異はあれども、元々ばらまき志向の政党に、ばらまき政策を求めたに過ぎなかったのだが、公明党が自民党から …

理解してあげて共に解決する有権者が必要

民進党には批判的な国民が多かった。このことが党を動揺させ、そこに小池新党が現れたから、現職を含む都議選の候補者達がなだれ込むように移籍し、国政においても同じことが繰り返された。ただし国政の場合は、党の決定に従って移動した …

バブルの頃、小選挙区制は第2党をつぶすための案だった?

1994年、衆議院の選挙制度は小選挙区制中心のものとなった。小選挙区に改正する案は、五十五年体制が崩壊する前に浮上していた(それ以前にも、自民党の改革または勢力維持のため、何度も導入が論じられていた)。2大政党制を目指す …

社会党の不運と中道の限界

いよいよ日本社会党である。社会主義、非武装中立という非現実的な志向を持つものの、党内では優位にあった左派と、党を西欧の社会民主主義政党のようなものにしようとする右派との対立、左派の優位によって、ついに自力での政権交代を果 …

比例代表制でない選挙制度と1票の格差

日本は1924年から1994年まで中選挙区制を採って来た(衆議院。ただし一度の例外あり)。そして1994年に小選挙区比例代表並立制となり、今もそうである。中選挙区制が自民党に有利に働いたことについては、すでに述べた(「疑 …

疑似政権交代の背景にある自民党の多様性と中選挙区制

自民党の結成後、政権交代が全くなかった1993年までの38年間、つまり五十五年体制下、国民に一定の満足感を与えたのが、自民党内の主流派、つまり内閣の中心となる勢力が入れ替わる、疑似政権交代であった。それを可能にしたのは、 …

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