1-10自民党の強さの秘密~あまりにでき過ぎた構造1.政権交代論

比例代表制でない選挙制度と1票の格差

日本は1924年から1994年まで中選挙区制を採って来た(衆議院。ただし一度の例外あり)。そして1994年に小選挙区比例代表並立制となり、今もそうである。中選挙区制が自民党に有利に働いたことについては、すでに述べた(「疑似政権交代の背景にある自民党の多様性と中選挙区制」参照)。小選挙区比例代表並立制は、小選挙区制と比例代表制の選挙を一度にやる、つまり双方をただ合わせただけの制度である。その小選挙区の部分は、政権交代が起こりやすい制度だとされるものである。しかし自民党が強すぎる(他の党が弱すぎる)状況では、なかなかそうはいかない。その上2005年以降は、比例代表制との並立制であるというハンデを乗り越えて、勝ち負けがはっきり出るという、小選挙区制の特徴が明確に表れている(小選挙区と比例区で同じ党に投票する人が多ければそうなる)。制度の力によって負け方が大きくなった野党、その支持者の声は、勝者の政治の邪魔になるだけのものだと見られがちになった(そのような面も実際、無きにしもあらずだが)。

日本では、保守的であり、そのためにも自民党が優位にある農村部に、多くの議席が配分されている。その最大の原因は、農村部から都市部への人口の移動に、選挙区割り、定数配分の変更が追いつかないことだ(参議院の性格が曖昧であるため、格差があっても各府県最低1名の議員を出すか、格差が無いように複数の県を合わせた選挙区を認めるか、同院については見解が分かれている)。このことも当然、自民党に有利に働くことが多い。

以上の打開策は、完全な比例代表制にすることだ。1995年の参院選で新進党が、2003年の比例部分において民主党が、自民党を上回る票を得ながらも、全体では自民党より少ない議席しか得られなかったことには、選挙制度によって、大事なところで不当な敗北を余儀なくされたのだという面があると筆者は思う。比例代表制であればこのようなことはなく、自民党1強の度合いは小さくなり、有権者が自民党よりも第2党の議席数を多くしたい場合、容易にそうなる。同時に、1つの政党が過半数を上回ることが難しくなる。合意形成に苦労するわけだが、このことも考慮しつつ、もう一度、より良い選挙制度について皆で考えることは重要である。

そうは言っても、与党は現行制度で勝っているのだから、それを大きく変えることには否定的であるのが普通だ。また、比例代表制にしたとしても、自民党1党優位がこうも定着し、民主党政権の失敗が政権交代に対する恐れを生んだ状況では、事はそう簡単ではない。

比例代表制を採用している国々では、一つの政党が過半数の議席を得ることはめずらしく、連立政権が常態化している。その連立を形成するための交渉は、難航することもある(総選挙の段階で複数の政党が協力関係にあり、そのグループが過半数を得ることもある)。そしておそらく日本では、少なくとも最初は、第1党である自民党と組もうとする中小の政党が競合し、交渉は自民党のペースとなるだろう。自民党は、表面上は相手の政党を立てることが上手いし、野党は小選挙区制であっても協力が難しい状況だ。どうであれ、中小政党の支持者は「与党の支持者」にはなれても、その支持政党の理念、政策は難しいだろう。これを克服して、比較的多くの政策で合致する政党同士、あるいは重要問題で合致する政党同士が、政策を軸とした、ドライな連立交渉の末に連立を組むということが、定着しなければならない(総選挙前に政党同士が連合を組む場合も同様である。そのような連合が増えれば、有権者にとって、どのような選挙結果があり得るのか、考えやすくなり、その上で新内閣の方針等を、比例代表制にしては予想しやすくなる。過度な多党化も避けられるかも知れない)。

ここでもう1つ、選挙制度について述べておきたい。選挙制度は、両院の過半数(あるいは衆議院の3分の2)以上の議席を持っていれば、改正することができる。2000年の総選挙の時であるが、市部で躍進する民主党を見て、自民党の実力者であった野中広務が、選挙特番のインタビューにおいて、東京都の小選挙区が小さすぎるとして、選挙区を大きくして定数を増やすべきだと口にしたと記憶している(確認できなかったが、野中が選挙制度を変えるべきだとしていたことは確かだ)。これはさすがに実現こそしなかったものの、非常に恐ろしいことだ。

農村部の1人区(小選挙区)は自民党が勝つ可能性が高い。そして自民党は比較的弱くなった都市部であっても(民主党政権の後では事情が変わっているが、風に翻弄される傾向は今もある)、定数が複数ならば、議席を得られるだけの力があった。つまり、自民党に圧倒的に有利な選挙制度に変わる可能性があったのだ。第2党が比例の得票数で優位政党を上回るなどの、インパクトのある選挙結果が出ながらも、それが政権交代を直ちにもたらすほどではない場合、選挙制度を野党第1党に不利なものに変えられてしまう危険性はある。そのような意図が露骨すぎる改正は難しいだろうが、似たようなことは、同じ2000年、実際に起こっている。参議院の比例区における、非拘束名簿式の導入である。

非拘束名簿式が導入された理由は、拘束式の比例代表制(つまり政党が名簿の順位を決定する制度)について、自民党が、党員を多く集めた者ほど名簿における順位を高くするという方針を採っていたために、候補者が、党費として納められるべきカネを支持団体などから集め、実体のない党員を増やしたことにあった。新進党でも、後に詐欺事件で有罪となった友部達夫が、新進党の名簿順位を買ったと言える工作をおこない、当選したということがあった)。

しかし忘れてはならないのは、当時自民党が不人気であったことだ。優位政党の地位を失う危険が現実的になっていた時期であったのだ。利益団体の候補が多く立つものの、政党の人気投票の面が強い比例代表制において、政党にだけでなく、名簿の中の1人の候補者に投じることもできる(どちらにするか選べる。名簿の中の個人への投票によって、名簿の候補の当選順が決まるのだが、各党の比例区における獲得議席も、党の得票と、党の名簿の候補者の得票の合計で決まる。つまり名簿の一候補者への投票が、その所属政党への投票になる)。自民党と書くのに抵抗がある有権者の票を、タレントなどの人気者や、個人としては評価されている人材を擁立することで、獲得することができるようにしたのである。これでは制度の改正前よりも、自民党に有利になることは間違いなかった(野党が、所属するメリットが大きい自民党よりも優秀な、あるいは目立つ人材を擁立することは、なかなか難しかったといえる)。

もちろん、改正前の比例代表制であっても、人気のある人物を名簿に含めることはできた。しかし自民党が嫌われていれば、いくら人気者が名簿に含まれていても、「自民党」とは書かれにくい。それに非拘束名簿式と違って、以前の拘束名簿式では、全候補者の順位を決めなければならず、現職の議員が高い順位を期待する中で、党外にあった人気者を高い順位にすれば波風が立つし、低い順位では人気者に立候補を了承してもらいにくい。

さて、1党優位なのだから当然と言えば当然だが、第1、2党以外に優秀な政党が現れても、自民党に有利で、現状打破が難しい選挙制度では、勝ち目はない。都市部、またはごく一部の地域で躍進することはできても、全国的に支持を広げることは、不可能に近いのが現実だ。

2大政党に代わる政党として、有権者は姿勢、政策の明確な政党を求める。しかしはっきりすればするほど、支持者は減ってしまう(無党派層を全て固めれば勝てたとしても、それは実際には難しく、姿勢をはっきりして脱落者を出すような余裕は、非優位政党にはない)。

民主党が第3党から第2党になれたのは、第2党であった新進党が粉々になったからだし、日本維新の会(大阪派)が、分裂を繰り返しながらも一定の議席を得ているのは、大阪に地盤が偏っているからである(衆議院では議席数が非常に少ないが、希望の党に食われた面もあるかも知れないから、まだ分からない)。これが完全な比例代表制であれば、議席を伸ばしていきやすいし、キャスティングボートを握って、それをてこに、有権者に浸透することもできる。総選挙後に多数派形成の駆け引きが展開されたり、連立政権が常態化して政治が不安定になったりするデメリットはあるが、風通しを良くし、無意味な繰り返しを脱するには、やはり良いのではないだろうか。