日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
野党再編をもう終わらせよう~民主党は完成形~

野党再編をもう終わらせよう~民主党は完成形~

※「民主党は完成形」という事について筆者は、これを書いた後、少し違う見方をするようになった。民主党の結成と拡大は、社会党の色を薄めるばかりで、民主党を明確な政党にしなかったということを、より強く認識するようになったのだ。ただし、それと近いことは他の節で説で書いているし、再編を繰り返すことに対する、否定的な見方は変わっていない。ただ、立憲民主党の結成と拡大再結成について、民主党の結成と拡大のように、あいまいなものではないと、評価するのだ(自民党があいまいだから、対抗するには同じくあいまいでないといけないという事も言えるが、立憲民主党も、左と中央に、あまり偏り過ぎないようにはしている)。

 

第2党と第3党が入れ替わることは否定しない。時代の変化に取り残された第2党は、その時代の変化が決定的に間違っているのでもない限り、生まれ変わるか、それができないのなら、その座を明け渡すべきだ。しかし、それはしょっちゅう起こってはいけない。1党優位性の強化、または政治の不安定化を招くからだ。

民進党系を批判だけする人は、政党の存在そのものを否定しているように、筆者には見える。戦前の2大政党は、議会政治の歴史が浅い中、西園寺公望という、政党の党首を務めた経験のある元老の力もあって、何とか政党内閣の定着を実現させた。それなのに早々とかんしゃくを起こして政党内閣を終わらせたのは誰か。軍部やメディア、それらの姿勢を支持した国民、それらに抗えなかった政党である(今と比べものにならない厳しい時代であったのだから、それらを一方的に糾弾するのも安易に過ぎるが)。当時の政党内閣の終焉はしかし、衆議院議員以外が総理大臣になることができる制度に直接的な原因があった。そのような制度であったから、政党が駄目なら、政党と無関係の人物を総理大臣に就けようということになったのだ(もちろん背景はこれほど単純ではないが、それについては『キーワードで考える日本政党史』で見ていきたい)。

戦後は議院内閣制となり、国会議員しか総理大臣になれなくなった。しかし第2党に関しては、取り替えが容易に利くと考えられがちである。政権が一定の差異のある2大政党の間を行き来することで、片方のもたらした問題が改善されたり、行き過ぎが抑えられたりする、という政治が定着していないから、第2党に継続性を全く求めない。「あいつには与党を倒せなかったから、お前いけ」、あるいは「あいつは倒せたが、その後が駄目だったから今度はお前いけ」という具合に、優位政党(自民党)に対する挑戦者を簡単に取りかえようとするのだ。

「簡単に」というのは、自民党の代わりを自民党に求めたり(つまり自民党に対する挑戦者を自民党内に求めたり)、未知数の新党に求めたり、という意味でもある。それでうまくいけば良いが、いっていない。社会党は駄目だ! 小沢一郎がやってくれそうだ! 小沢による政権交代は見たいものと違ったな・・・。それなら民主党か。でも民主党よりも保守の政党がいいな・・・(あるいは「民主党はなかなか政権を取れないな・・・」)。 自民党を離党しそうな加藤紘一だ! いや自民党の小泉純一郎だ! やっぱり民主党だ!  いや日本維新の会だ! やっぱり民主党しかないのか? いや小池新党がある! でも好きになれないし、逆に立憲民主党だ! とやってきているのが五十五年体制崩壊後の日本だ。有権者にも、もちろんメディアや政治家にも、もっともっと辛抱が必要だ。第一、これらの挑戦者達の政策は、時代の変化を加味してもあまりにバラバラであり(中には近いものもあるが)、名実ともに、自民党の挑戦者には一貫性がないのである。

無理やりまとめれば、なんらかの改革を求め続けたということだろうが、結局第2党は、社会党の系譜のままなのだから、社会党~民進党系が進歩しているというのでなければ、有権者は何の結果も出せていないということになる。野党第1党は不甲斐なかっただけでなく、時には、勝手に分裂して消滅したということもあった。しかしその要因には、有権者が自民党の挑戦者として不合格だという、烙印を押したこともある。

挑戦者が駄目なら、新しい挑戦者に乗ることが確かに簡単だし、挑戦者が引退(解党)すればそれもやむを得ない。しかし、その新たな挑戦者をも、経験をろくに積ませないまま引きずり降ろすのでは、いつまで経ってもチャンピオンは交代しない。これが例えばボクシングであれば、チャンピオンも老いる。しかし政党は、人間のように老いる訳ではない。力を失っても、時代に合わなくなっても、勝ち続けるということが、あり得るのだ。なぜかといえば、すでに見たように、自らに圧倒的に有利な条件が整っているからだ。そしてこれから見るように、そして今も一部見ているように、野党第1党が基本的には、逆境にあるからだ。老朽化し、膿のたまった優位政党が野党に転落せず、つまり自己変革の時間も与えられないまま、いつまでも政権を担当しているということには当然、大きなリスクがある。

もちろん、野党の質も上げなければならない。これから衆議院議員として成長しようとする若手議員を、彼らの先輩達が駄目だからという理由で、成長、地盤の形勢をする時間も与えずに何度も落選させれば、それこそ政治家一家や、落選しても耐えられる富裕層からしか、議員が誕生しなくなってしまう。彼らの先輩達にしても、与党議員の経験がほとんどないまま、いわば試験開始のチャイムが鳴ったばかりなのに、いきなり不合格とされて、会場からつまみ出されただけである。

何より、民主党は野党再編の完成形であった。自民党が、時期にもよるが、競争重視の新自由主義の色を強めつつ、従来の公共事業重視のばらまき路線も維持する中、それに対抗する政党は、格差是正を重視する左派政党でなければならない。機会均等を実現した上での競争重視という、双方の間の路線もあり得るが、右派政党、中道政党、左派政党の3党制は、日本では1党優位の継続を助けることになるし、イギリスなどの例を見ても、その路線は左派政党の選択によるものである方が、安定する。国による公共事業ばらまき路線に対峙するものとしては、地方分権があるが、国政政党である以上、それとは別に、競争重視か平等重視かという基本的な理念が、有権者に認識される必要がある。

安全保障政策については課題が多いものの、社会主義ではない左派政党、伝統重視の保守政党(右傾化した自民党)に対する、自由重視の左派政党は、他の先進国に遅れて日本がようやく手にしたものであり、新自由主義対社会民主主義、保守対自由に変わる、有効な政党制はまだ、見つかっていない。だから民主党→民進党系を調整していくことが、合理的なのである。

政党の再編について言えば、優位政党も合流による拡大はしたし、内紛もあった。それが非被優位政党のそれと何が違うのかといえば、優位政党が、短期間その地位を失っていた時も含めて、合流相手より圧倒的に大きく、また自力でも道を開くことが出来るという自負があったことから、合流が優位政党に有利に進み、優位政党(に戻る可能性が高い政党)入りに魅力があったことから、合流が内紛に至る亀裂をもたらすことが少ないという点である。そもそも優位政党が、他の政党、会派との丸ごとの合併を積極的に進めた例は皆無だ(憲政党と現在の自民党は、第1、2党の対等合併であるから別とする)。立憲政友会への革新倶楽部、中正倶楽部の合流は、丸ごととはならなかったし、政友会は大分裂の影響で、第2党になっていた。ほぼ丸ごとであったが、自民党と新自由クラブの合流も、新自由クラブを助けたに過ぎなかった。戦後の吉田茂の日本自由党の系譜は、基本的には保守第2党との丸ごとの合併を志向しつつ、そこから分かれた不平派のグループだけを吸収していった。五十五年体制崩壊後の自民党は、議員を一人ずつ入復党させることで、勢力を回復した。

対する第2党の合流による拡大は、すでに見たように、深刻な内紛を招くことが多かった。確かに第2党の系譜にも第3党以下を吸収したという面がある。しかし優位政党の場合とは、議席数の差がずっと小さい。

野党をいじくりまわすような再編は、不毛である上に、党の統一性を弱め、対立の火種を蓄積させる。いい加減、終わりにしなければならない。

 

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