日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
スター政党(第3極の新党)が抱えたジレンマ

スター政党(第3極の新党)が抱えたジレンマ

社会党に代わる第2党が無い状況を変えたのが、1993年の羽田・小沢派の自民党からの離党に端を発した、政界再編であった。第2党は1994年に遂に、衆議院では新進党に代わった。その前の1992年から、日本新党ブームが起こっていた。同党の支持率は、それまでの第3党下の政党を、大きく上回っていた(1993年の総選挙後には、自民党に次ぐ支持率を得ていた)。だが、それだけで社会党が第2党から転落していたかは分からない。確かに、新生党や新党さきがけが結成されていなければ、その分日本新党が、既成政党打破の期待を集中的に受けていたであろう。しかし自民党が割れていないわけだから、その期待自体が本格的なものになっていなかったことも、十分に考えられる。だから、そのような状況下で日本新党が、総選挙で社会党を上回るほどの議席を得ていたということは、筆者には想像し難いのである。

第2党の交代は、社会党以外の既存の野党、そして日本新党、自民党の離党者による新生党が合流して、つまり第3党以下の多くの政党が合流して、初めて達成された(新進党の結成)。だから五十五年体制終焉後の新党は、新しさと共に、単独で多数派になることではなく、政界再編によって台頭することが、現実的な道としても期待されたのだと言える。既存の政党にないものを求められながら、既存の政党との再編も求められる。新党を苦しめる矛盾だ。

新進党の例を出したが、同党は第2党にはなれても、第1党にはなれなかった。その要因には、民主、共産両党と、反自民票を分け合ったことがあると考えられる(与党第2党の社民党にも、反自民票とし得る票が投じられていたと考えられる)。民主党には、社民党の後継政党だという面がある(社民党も存続はしていたが)。つまり、政権を得ることができる政党になるには、社会党の系譜を本格的に巻き込まなければならないのだ。

日本新党、新生党、新党さきがけは、社会党と組んで政権交代を果たした。その後、与党第2党となった小沢一郎の新生党は、社会党よりも自らに近い、自民党の一部を切り崩すことで、与党第1党であった社会党の影響力を小さくしようとした(元々非自民であった社会党を切り崩すのと違って、非自民勢力の議席も増える)。武村正義や鳩山由紀夫の新党さきがけは、社会党に接近した。細川護熙の日本新党は、双方に分裂した(新生党に追従することに否定的な議員達がグループ青雲、同様の枝野幸男や前原誠司が民主の風を結成し、新党さきがけに合流した。さらに海江田万里が新生党などとの合流―新進党結成―に参加せず、社会党の離党者と市民リークを結成、さらに社さ両党の多くの離党者達と民主党を結成)。これは後の状況よりも複雑ではあるものの、第3極がぶつかる壁があることを示している。これは後の状況よりも複雑ではあるものの、第3極がぶつかる壁があることを示している。それは自民党(内の守旧派でない勢力)を選ぶのか、社会党(内の守旧派でない勢力)を選ぶのかという選択だ。新しさと矛盾する政界再編という道を選んでも、さらに困難が待っているものなのである。

その後の新党は、もっと厳しい状況に置かれている。政治改革によって、小選挙区制や政党助成金が導入され、第3党以下が比較的不利になり、政党の執行部の力が強まったことで、自民党はもちろん、社会党の流れを汲む民主党をも、大きく切り崩すことが難しくなったからだ(2017年の民進党は例外とするべきだろう)。

上で見た選択は、自民党という与党に寄るのか、結成後間もなく野党化した民主党との、野党共闘を選ぶのかという選択になった。具体的には、みんなの党、日本維新の会→維新の党、希望の党(といってもほとんど民主党→民進党出身者)が、これで一致できずに分裂したのだ。1898年結成の自由党(小沢一郎党首)も、そうだと言えないことはない。政治改革の前のことだが、五十五年体制下までさかのぼれば、新自由クラブも多少それに近かった(リーダーであった河野洋平が他の中道の野党との協力を志向したことで、自民党に寄ろうとする議員達が離党し、結局河野を含む多くが自民党に合流し、唯一合流しなかった田川誠一が進歩党を結成して、社会民主連合と統一会派を組んだ)。

新しい政党らしくありながら、古い政党と連携(場合によっては合流)をしなければならないという矛盾と、自民党と組んで、新しい政党としての政策を実現するか、それを後回しにして、社会党~民進党系と組んで、古い権力の担い手である自民党を倒すか、と言うジレンマの中で、人気のあった新党も、分裂し、沈んでいったのである。

目を転じると、共産党と2015年結成の日本維新の会(結成当初の党名はおおさか維新の会)は、確固たる主張、信念を持っている。団結力もある。だからこそ、小規模ながらも、固定的な支持層を持ってもいる。特に日本維新の会は、大阪府内では「大政党」である(正確には地域政党の大阪維新の会が大政党で、日本維新の会はその全国版として、大阪で人気がある)。しかし双方とも、その独自性のために、他の野党との間に溝がある。共産党については、「共産党を除く野党」などの表現が定着したほどだし、今ではかわりに、日本維新の会が似たような境遇にある。合流と分裂を経たが、新党らしさを守ろうとした日本維新の会(大阪派)を待っていたのは、孤立であった(自民党か民進党系かという選択について、自民党を選択したと言える勢力だが、必要以上に取り入ることはせず、自民党からも直接の協力は得ておらず、選挙では激突している)。

ここで見ている矛盾、ジレンマの答えとして、思い浮かぶことは、これも当たり前すぎることである。だがあえて言えば、他党と安易に組むのでも、頑なに単独行動をするというのでもなく、ドライに、政策が多少なりとも近い政党、政策をより多く受け入れてくれた政党と、その点を明確にして組むということをするべきだ。その上でその政党をはじめに、各政党と、有権者の見えるところで議論をし、説得していくべきだ。応じない政党があれば、それをなるべく単純に、国民に訴えかけるしかないと思う。「私たちはこのような法案を通したいが、~党は議論もしてくれません」と。テレビやネットの討論番組は、言いたいことを言ってアピールする場で、合意や協力関係の構築を目指すものではない。そしてそのような目的でなされる会談を、国民が見ることは、今のところほとんどできない。

 

 

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