1.政権交代論

野党の2択(⑨)~改進党系の山県-桂系への接近~

対外強硬派と合流して進歩党を結成して以来、薩摩閥、自由党系(自由党系とは合流までしたが、短期間でほぼ元の通りに分裂)、そして再び対外強硬派、再び自由党系と、(状況をリードできないままに)組む相手を替えてきた改進党系が、初めて本格的に長州閥(山県-桂系)に接近しようとした(それまでも伊藤や桂に接近しようとしたと見られる動きが多少はあったが―第4章⑫等、第6章⑰、1列の関係(⑰)参照―)。これは伊藤系と自由党系に続く、第2の政界縦断へとつながる動きの、スタートであった。1907年7月5日付の東京朝日新聞によれば、猶興会は、事業繰り延べを実現しようとする大蔵省の方針を支持していた。なるべく繰り延べを避けようとする大同倶楽部とは、同派はやはり違っていた。この日の同紙の他の記事には、憲政本党の変化を信用することができないという、前内閣側の一員とされる人物の話がある。右に大同倶楽部、左に猶興会があり、その間を左から右へと、憲政本党が動いていたわけだが、だからといって、猶興会と離れて完全な右派連合を形成するにしても、それで過半数を視野に入れられるのか(総選挙での議席の増加も含めて)、難しい状況であった。