日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
今のままでも、国民が変われば

今のままでも、国民が変われば

筆者は、自らが良いと思う選挙制度になれば当然嬉しいが、それが難しいことは知っている。そうであるなら、結果が比較的はっきりと出る今の制度で、たとえ自民党に有利ではあっても、政権交代を定着させるよう、非自民の議員や国民が、共に努力するべきだと思う。

「小選挙区制で一強多弱など、本当にろくでもない」と筆者は思っていたし、今も思っているのだが、とくにコロナ禍で、「多弱」が切磋琢磨する傾向が強まったことは、評価している。だからといって、政権交代の定着について協力することはできないのだとしても、それが自民党を奪い合う「三角関係」につながることを警戒しつつ(「民主党系と維新の会の、あるべき関係」参照。自民党に政策の売り込みをかけても、自民党に都合の悪いものは排除されるのだから、本当の意味での変化は、まず考えられない)、政権交代を実現させる糧にして欲しいと思っている。

あと一つ補足すると、麻生副総理は、自民党内の強い派閥が、交互に政権を担うということを述べている。これはもちろん、五十五年体制において、政権交代はなくても、自民党政権の中心が交代したことを、念頭に置いたものだろう(党首―総裁―が別の大物に代わり、その大物を戴く派閥が中心になる)。

かつて自民党内では、自由党系にルーツを持つ派閥を中心とする政権から、改進党系にルーツを持つ派閥を中心とする政権に代わるといったことがあった。そうであれば、派閥間の力関係が変わっただけではなく、自民党になる前の2大政党の間で、政権交代が起こったのに近いと、言えない事はない。しかしやはり無理がある。

まず、ずっと、その「2党」の連立であることに変わりはない。永久に同じ連立政権である。

また、自民党結成当初こそ、派閥は自民党の前身、そのまた前身の政党のカラーを受け継いでいた。つまり理念や政策にも違いはあった。しかし同じ政党であれば、それは曖昧になっていく。そもそも一つの政党ですら、共感したわけではなくても、人間関係で入党し、さらには議員になることがある。それがただの一派閥になれば、ますますそうなる。政党が政権獲得を優先する以上に、自民党内の派閥は、とにかくトップを総理大臣にするためのものとなった。

それに五十五年体制の頃は中選挙区制であった。前述の通り1つの選挙区に、異なる派閥に属する自民党候補が何人もいたのである。そうであっても、所属派閥を見て票を投じる人は少なかったと見られる。あくまでも、どれだけ自分たちのために動いてくれたか、人間的に好きになれるか、ということであったはずだ。もちろん、親族も含めた周りの目を見て、投票先を決めるということが、たとえ秘密投票でも、あったと考えられる。

小選挙区が中心の現在、選挙区には自民党の候補が一人しかいない(調整がつかなかったか、公認争いに敗れ、2人目が出馬することはある。しかしその場合、2人に党の公認が出されることはあり得ない(無所属で当選した候補を追加公認することはあり得ても)。「A派にしよう」と思っても、自分の選挙区にいる唯一の自民党候補が、A派であるとは全く限らないのだ。国民が選ぶということを、麻生太郎は全く度外視しているのである。これも反選挙派(「野党候補の統一予備選挙」参照)だと言っても過言ではないだろう。

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