日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
維新はこれまでの新党とは違う

維新はこれまでの新党とは違う

冷戦が終わると、日本ではいくつもの保守新党が誕生しては消えた。主なものだけでも次の通りである。なお、冷戦期にも新自由クラブという政党が存在した。これはロッキード事件で揺れる自民党を離党した、若手議員らが結成した政党で、ブームと言える状況を生むが、それが過ぎると不振に苦しんだ。そんな中、保守(自民党に寄る)か中道(他の野党と組む)か、路線の対立で離党者を出した。そして残留した後者すら、過半数割れをした自民党(ただし追加公認で過半数に)と連立を組み、その後自民党が議席を増やし、自民党にとっての自分達の価値が低下すると、自民党に合流した(この際、衆議院議員一人だけは合流を拒み、進歩党を結成)。

日本新党(1992~1994)

元自民党参議院議員(田中派)、熊本県知事の細川護熙が結成。選挙には新人を擁立。総選挙で当選した35名中の7名が新党さきがけに移動する一方、社民連を吸収し、新進党結成に参加。

 

新党さきがけ(1993~2004)

自民党の(新生党のように新自由主義的ではない)改革派が結成。1996年に多くが離党して民主党を結成。残部はごく少数となり、さきがけ、さらにみどりの会議に改称。

 

新生党(1993~1994)

自民党羽田・小沢派が自民党を離党して結成。新進党を結成。

 

新進党(1994~1997)

新生党、公明党、日本新党、民社党、その他自民党離党者が合流。1996年に羽田孜らが離党して太陽党を結成、1997年に細川らが離党してフロムファイブを結成、1997年末に小沢らの自由党、旧公明党系衆議院議員の新党平和、旧公明党系参議院議員の黎明クラブ、公明党系に寄った保守系の改革クラブ、民主党系に寄っていた保守系の国民の声(太陽党、フロムファイブと合流して民政党に)、旧民社党系の新党友愛に分裂。

 

国民新党(2005~2013)

自民党の郵政民営化反対派が結成。民主党と連立を組むも、消費税増税に反対して、中心人物の亀井静香が離党。総選挙で大敗して解散。なお、郵政民営化反対派の新党には他に、新党日本があった。

 

みんなの党(2009~2014)

自民党の改革派であった渡辺喜美が自民党を離党し、無所属の江田憲司、民主党内で自身の選挙区決定に不満を持った浅尾慶一郎らと結成。2013年に江田らが離党して結いの党を結成。結いの党は維新の会と合流して維新の党を結成。みんなの党の残部は、総選挙を前に、民主党への合流について一致できず、解散。

 

たちあがれ日本(2010~2012)

郵政民営化反対派の平沼赳夫が自民党離党者と結成。2012年に石原都知事を正式に迎えて太陽の党に改称、さらに日本維新の会に合流。維新内で議席を増やしたが、2014年に維新と別れ、次世代の党を結成。総選挙で惨敗し、党名変更を重ねて自民党に合流。なお、たちあがれ日本と同時期に、自民党を離党した舛添要一らが新党改革を結成している。

 

日本維新の会(2010~2014)

大阪維新の会(自民党の離党者、橋下徹大阪府知事が結成した地域政党)の国政政党として、民主党やみんなの党の一部を引き抜いて結成。太陽の党を吸収。太陽の党系と別れ、結いの党と合流して維新の党を結成。

 

維新の党(2014~2016)

維新の会と結いの党が合流して結成。大阪派の離脱後、民主党と合流して民進党を結成。

 

おおさか維新の会(2015~)

維新の党を脱した大阪派が結成。日本維新の会に改称し、現在も存続。

 

希望の党(2017~2018)

自民党を離党した小池都知事が結成。民進党の衆議院議員、候補が合流し、ほぼ民主党系の政党に。民進党系による国民党と、その他による希望の党に分党し、国民党は民進党と合流して国民民主党を結成、新たな希望の党は所属議員がゼロになることが決まり、2021年に解散した。

 

これらの新党はどれも挫折し、トータルで見れば、多くが自民党入りし(そのうちの多くにとってはそれは、入党ではなく復党であった)、一部が民主党系に入っていると言える。第3極とされることも多い保守新党は、1強の自民党にすり寄るのか、反対に、他の野党と組んで自民党を倒そうとするのか、この2つの路線に裂けるのが常であった。

ただし、今の維新の会はやや違う。まずは、【今の維新の会がすでに、維新の党が2つの路線に分裂した、その一方である】という事だ(もう一方、つまり自民党にすり寄らず、野党間の連携を志向する方は今、立憲民主党にいる)。

次に、維新が良い意味で、既成政党になりつつあるという事だ(悪い意味での既成政党、つまり守旧派ではない)。2012年の維新の会は、今の維新の会とは別の政党だが、大阪派としてはつながっている。これを一つと見れば、すでに9年間存続している。これは新自由クラブに迫る。2022年中には抜かすことになる。しかも議席数もずっと多くなった。

次にやはり、大阪という大きな本拠地があることだ。しかも多くの首長を押さえ、議会でも強い。改革派の全国政党としては倒れても、地域政党としては1強、少なくとも2強の1つとして、しばらくは残れるほどの強さがある。このような強い本拠地があれば、そこに撤退はしても、短期で消滅することはないだろう。かなりの強みである。

そして最後に、いわゆる永田町の論理に染まっていないところがある。上で挙げた新党は皆、国政の自民党から誕生しており、改革派の政党であっても、永田町の文化をかなり引きずっているように見えた(日本新党の新人達は例外とし得るだろうが、今はもう・・・)。また国民新党とたちあがれ日本、特に前者については、そもそも改革派とは言えない。

維新の会は、そのたちあがれ日本を吸収し(石原都知事と組むためであったが)、国民新党の下地幹郎を加えた。かつての維新の会は、結成当初から他党、他党の離党者との合流を重ねたが、それらと今の維新の会とは、かなり異なる。今維新にいる他党の出身者は(除名した下地もそうだが)、個別的に吸収したに等しい。

かつての維新は、国政のノウハウがなかったために、他党の出身者に頼らざるを得なかった。しかし今の維新の、大阪選出議員の一部には、国政政党としてのノウハウが蓄積されてきている。今後よほどのことがない限り、狭義の大阪派(今は日本維新の会そのものが、広義の大阪派だと言える)の意向に反した動きは、起こらないと思われる。

ただし、永田町に染まっていない事については、良い事であると同時に、配慮があまりに足りない主張、振る舞いをする事にもつながっている。これこそ維新が保守らしくない点であり、国民が選挙で維新を主要な保守政党に押し上げようとする場合には特に、警戒する必要もある。

確かに維新を、自民党の分派と見る事はできる。日本維新の会の土台となっている、地域政党としての大阪維新の会は、自民党の分派である。その誕生には政策だけではなく、大阪府議会議員と大阪市議会議員の主導権争いのようなものも影響しているようだ(『ルポ 橋下徹』107~112頁)。しかし大阪での維新を見れば、永田町の論理ではなく、郷土愛のようなものが軸となっている。郷土愛と言えば、国家からの独立を目指すというような場合以外は、どちらかと言えば保守である(郷土を愛する左派の人間も当然存在し得るが、他者にもそれを求めれば、その郷土が国内で少数派、あるいは特別不利な立場にない限り、権威重視、伝統重視の、保守的な面が大きくなる。また、独立を目指すような場合であっても、その郷土での事に限れば、あるいはその地域だけを見れば保守だという事はあり得る)。

大阪の場合は、日本からの独立を志向していないのは確かだろうが、従来の古い体質が足かせとなり、また、東京に従属するような(都市同士としては劣位に置かれ、力も奪われて、中央集権の国政については、「東京の国政」に不利な位置で従属している)状況にある。維新はそれを変えようとする点で、保守派という以上に改革派だ。自民党にも改革派はいるが、党の主流、いや党全体が改革派という点で、維新は自民党とは異なる。

大阪が、不利な立場にあった事と共に、その非効率、腐敗によっても停滞していた事から、そして都市部という面がとても大きい事から、愛郷心が、改革に対する姿勢を鈍らせるものにはなりにくい(農村部は選挙結果を見ても分かる通り、保守的である)。

大阪維新の支持者は、改革を評価するのはもちろんだとしても、そこに郷土愛が加わっている。あるいは愛郷心が、変化を受け入れる土台となっている(大阪都構想だけは、維新が何と言おうと大阪市が無くなるものであるため、愛郷心から反対する人もいるのだろう)。維新を批判する事が、大阪を批判する事に似た面があり、維新の会は大阪においては、自らが批判される状況、軽視される状況すら、大きな力に変えられる。批判されても、核は強くなり得るのである。これは強い。

維新の会は、参加議員の集票力と、選挙での風ばかりを頼るような新党とは違う。組織力はあるが、それはむしろ後からつくられたという面が大きい。

維新の会の、他党との体質の違いを示しているのが、松井代表も吉村副代表も、総選挙後の日本維新の会の代表を続けたがらない、なりたがらない状況である。普通、新党の代表者はもっと前のめりである。そして政党に所属する議員(維新はこの点でも異質で、松井代表、吉村副代表は地方自治体の首長であるが)なら、党の代表に、なれるものならなりたいはずである。そうでない議員もいるだろうが、他者を担ぐことも含めて、党を動かす力を求めない事など、やる気がない場合以外、考えられない。それを手にしなければ、自分の理想、政策を多く実現させることができないからでもある。「でもある」としたのは、議員の地位を求めて政党に所属する者も少なくないと想像するからだ。

松井、吉村両氏は、やる気のある政治家だ。しかし首長としての仕事、党役員としての仕事に疲れている事を隠さない。報酬等もカットしているため、そこまで「うま味」があるわけでもない(少なくとも表向きには)。であれば辞めて休むか、本職(吉村知事は弁護士)に戻りたいと思っても不思議ではない。

これは、一面では素晴らしい事だと言える。出世欲を優先させることなく、自分が必要だと考える事に取り組めるからだ。彼らを見た後に、ずっと続けたいという議員、首長をみれば、つい「待遇がいいんだな」、「裏で悪さをしているのかな」、「楽に仕事をしているのかな」などと思ってしまう。イタリアでは、第1党となった五つ星運動(『他国の政党、政党史』イタリアの「冷戦後~現在」参照)が、議員を2期までしか務めないというルールを独自に設けている。これにはデメリットもあり、今後変更される可能性もある。

だが、この維新の素晴らしい点は、松井、吉村が首長であるからこそ生じ得るものだ。大勢の一人である議員の場合、出世しなければ本当に深刻な限界がある。そして国政政党として、党首がずっと首長で良いのか(代表と共同代表がいるという形が良いのか)、という事についても、まだ考える必用があると思う。

議員、首長というものは、ある程度自分を捨てて、国民のために尽くすべきだ。しかしそれはきれい事で、政治、特に選挙にはカネがかあるのが現状だし、「身を切る」ばかりでは、お金と時間に余裕のある人、あるいは一般人とかけ離れた感性の人しか、なり手がいなくなる危険もある(立候補しても今の仕事を辞めなくて済むような工夫も、だから必要なのだ)。あるいは表面的には潔癖でも、裏ではそうではないという者が増えかねない。2期までというような制限も、少なくとも、日本型の雇用が残る限りはリスクが大きすぎる。それこそ富裕層しか議員になれない。

議員になり、落選しても心配ないくらいのお金を、事前に自力で稼げる、稼げるような態勢を整える能力のある人物でなければいけないという面はある。単純な例を挙げれば、少ない元手から、投資で大儲けできるくらいに経済等が分かっている議員でなければ困るということだ。しかしそのような議員には、その能力がない人の気持ちが分からない場合もある。何かに優れた人が国を良くするとも限らない。世襲ばかりでも、利権屋ばかりでも、投資家ばかりでも、専門家ばかりでも、庶民ばかりでも、そして男ばかりでも、女ばかりでも困るのだ。能力はあるが冷たい人ばかりでも、無能は低いが優しい人ばかりでも困るのだ。多様な国民の代表が並ぶことも非常に重要なのだ(ITの発展で国会が不要になる等のことも考えるが、ここでは現状を考えるにとどめたい)。だかられいわ新選組の2019年参院選の戦略(重い障害を持つ候補者を、自民党の都合で導入されたに等しい、比例の特定枠に充てた)を、筆者は高く評価している。

一度でも国会議員に当選する人物なら、落選中に収入を得るようなコネはあるものだろう(コネは主に与党だろうが、組織内候補は本来の職に戻りやすいし、政党の資金で次の選挙まで耐える者も多い)。しかし大量の、議員に戻る事を目指さない元議員が生まれるわけで、それが全員雇われるのは難しい。再就職のためのコネのある者しか議員になれない、あるいは議員時代が再就職のためのコネ作りに充てられる、というのではたまらない。国の歳出にも頼らない、根本的な解決策が必要になる。もちろん、天下りのような、ぬるま湯である必要は全くない(それも腐敗を生んでしまう)。

 

しかしやはり、限界はある→

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