日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
しかしやはり、限界はある

しかしやはり、限界はある

ここまで、維新の会が今までの保守系の新党とは違うという事を述べてきた。しかし同じような限界はある。それについて述べるわけだが、まず、あえて日本の有権者について問いたい。維新について知った上で、(その負の面も理解して)投票している人も多くいると思う。しかしその一方で、なんとなく、新しくて正しそうだから投票した、という人もいるだろう。これまでの新党は、後者の割合が高く、持続的な支持を得にくかったのだと考えられる。なぜなら、イメージで政党を支持する人は、その政党の本質が変わらなくても、イメージが崩れるだけで支持しなくなるからだ。似たような新党が現れると、そちらに人気が移るという事はある。

今までの新党とは違うのに、同様の限界がある。そう言わざるを得ない理由は単純だ。まずは何より選挙制度だ。衆議員は小選挙区中心、参議院も1人区、つまり小選挙区が勝敗のカギを握ると言われている。両院とも、比例代表制で決まる議席もそれなりにある。そこでは人気があれば躍進しやすい。今回の維新の会もそうだし、かつての民主党も、まず比例代表で自民党と対等になった。小選挙区については、政権を獲得した時以外は自民党に引き離されていた(今の野党よりは多くの議席を取っていたが)。

比例代表で確かに維新は議席を伸ばしやすい。しかし比例では他党と、議席数の差が付きにくい。一方の小選挙区では、そもそも当選者を増やすことが難しい。参議院の複数区で自公と左派野党が分け合っているところに割って入り、まずは強い自公ではなく、左派野党を落とすことが、維新にとっては現実的だろう。しかしそれで得られる議席は決して多くはない(自公両党の関係が変化するかで変わり得るが、それについては近く改めて述べる)。

ここで確認しておくと、参議院の各選挙区(都道府県ごとの選挙区)の、一回の選挙での定数は現在以下の通りだ。

6人区:東京

4人区:埼玉県、神奈川県、愛知県、大阪府

3人区:北海道、千葉県、兵庫県、福岡県

2人区:茨城県、静岡県、京都府、広島県

1人区:他32区(鳥取県と島根県、徳島県と高知県は合区)

この参院の複数区、そして当然1人区(小選挙区)では、自民党と野党ではなく、立憲と維新の争いになるのだ。それは野党第1党の座(少なくとも個々の選挙でどちらの獲得議席が多いか)という争いになる。複数区は、自民党が一人は当選させるのが前提。1人区の多くは自民党が勝つのが前提で、そうでない選挙区であっても自民党が弱いわけはなく、他の多弱(2弱)が、共倒れを回避することもできず、議席を奪い合うのだ。これが悲しき限界なのだ。その先に明るい未来が絶対にないとは言わないが、現状でもなんとかなると考えるのは危険だ。

維新は自民党を削っていたとも言われるが、野党の頼りは無党派層であり(それも問題だが、組織票で自公が他党を圧倒する日本では、無理もない)、無党派層の票を集めなければ自民党に勝てないところ、野党が分け合って共倒れになる。無党派の中で相当数が維新に投票したのだから、維新候補の増加は、選挙区にもよるが、トータルでは立憲民主党のダメージになっていると想像する。いずれ検証したい。

小選挙区制が導入されて初めて迎えた1996年の総選挙は、新進党と民主党が共倒れになった選挙区が多かったと考えらる。共産党も無党派層に食い込んでいたから、その分も分散していた(共産党に投じるのは最左派ばかりではない)。2003年の総選挙では、直前に自由党が民主党に合流した事で、1対1の構図に近くなった。しかしそれでも、自民党には公明党がついている一方、民主党に入るべき野党票を共産党が削っていると言われた。1対1に近くなったことなどから、共産党が大きく議席を減らした選挙ではあったが、それでも政権交代には遠く、そのような事が言われたのである。政権交代が実現した2009年の総選挙では、共産党が、同党の都合で、多くの選挙区において候補者をおろした(共産党は、基本的には全ての選挙に候補者を立てる)。その次の2012年の総選挙からは、自民党1強、野党2弱(民主党系と、維新等の第3極)の結果が続いている。

今後第2党(野党第1党)になることはあったとしても、維新は左の票を得られず、左から票を削られる。筆者はそうは思わないが、もし左の票が今後大きく減るとしても、その少しを得られないだけで、少し削られるだけで、政権交代は極端に難しくなる。しかも日本の前進を考えれば、維新にしかそれを実現できないと考える人がいたところで、選挙ではいったん共倒れを仕掛け、【維新も伸びない】+【立憲が共倒れによって現有議席を減らす】という状況を生まなければならない。日本の野党第1党が一度さらに、極端に弱くなるのだ。「そこからが勝負だ」と言っても、その失望の中で別の新党が誕生したり、自民党が新たな支持を獲得するなど、維新にとって不利な事も起きてくる。問題続出の維新を、危機感を持つようになった自民党が、徹底的に追いつめよう(追いつめさせよう)とするかもしれない。

この選挙制度上の限界からは、維新も逃れられない。逃れるためには、全国規模で自民党を引き離す支持を得なければならないが、そうはいかない(自民党を少し上回るだけでは、よほど投票率が上がらない限り、組織票に敗れてしまう)。

さて、次の限界だが、それは農村部で弱い事だ。程度の差はあるが、この点で維新はこれまでの新党と変わらない(郵政民営化反対派の国民新党は、都市部で支持を得にくい政党であったが、そのために、一部の郵政民営化反対派の議員が、改革派の田中康夫長野県知事を党首に、新党日本を結成した)。

3つ目は内部対立だ。維新は確かに、維新の党が自民寄りと、野党連携派とに分裂した後の、前者である。しかし今回、議席を増やしたとたんに内部対立が見られるようになった。今は部外者を自称している橋下の、維新の国会議員を罵倒するようなツイート。議員間の、文通費(ここでは内容は省略する)や、ベーシックインカムの財源に関する意見の相違も見られる。ベーシックインカムの財源に関する対立では、役職を外されたとかツイッターをブロックされたとか、そしてその事もツイッターで発信するという、幼さが見られた。

橋下のツイートには、維新に注目を集める、維新を誘導する等の戦略がある事も疑われる。SNSでけんかをするのは新しく、透明性があるようにも見える。しかしここに、目立つ事を優先する新党の限界も見える。

4つ目は、スター政治家に頼る体質、独善的な体質だ。前者は、今までの新党の限界と一致する。後者については、今までの新党よりも柔軟性に欠けると言える。

まず前者だが、橋下に代わる吉村というスターを生むことが出来たのは成功だ。しかしスター政治家がいるという事は、他の勢力と協力しにくいという事を意味する。特に新党同士だと、どちらにもスター政治家がおり、どちらかを立てるのが難しくなる。実際に今、維新は孤立している。国民民主党とは比較的近いが、国民民主党の玉木代表は、おそらく維新の劣位に立たずに維新と組むために、小池知事に接近している。そして維新の松井代表は、これを強く批判している。

維新が孤立する背景には後者、つまりその独善性も関係している。自ら孤立しているわけだが、だから問題ないというわけではない。

維新の独善性とは、左派政党のように、自分達が信じるイデオロギー等に固執する、それだけが正義だと考えるのとは、少し違う。しかし自分達のしている事を正しいと信じ(過信は怖い)、譲歩するのが苦手な点は同じだ。それでいて保守系には自民党コンプレックスがあり、自民党には甘い事が多い(自民党が何でもありだからそうなりやすいという面もある)。中国(自民党)を上に見て、日本(左派野党)を下に見て(下に見たくて)敵視する、韓国のようでもある。かつての保守系の新党は、内部にそのような議員がいる事はあっても、全体的にはそのような傾向はなかったと思う(※)。民主党政権の迷走で、民主党が非難されるようになってからの傾向だと思う。

※新生党は社会党を見下しているようだったが、自民党が与党であった時も、自民党に甘いということはなかった。自民党が社会党と組んだということだけで、説明すべきではないと思う。当時まだ、非自民である事に自信を持てたのだと思う。なお、当時の社会党は、今の民主党系よりも左、非現実的であった。

全体的にこんな調子では、維新が国政で政権を取る事は難しい。もちろん、大阪を良くし、国政についても改革の必要性を訴え、時に、改革積極、消極の双方を内包する自民党を、多少揺さぶることはできる。しかしれ以上の事を成し遂げようとしているように見えない。コツコツやるのは良い事だ(筆者は時間をかける事にもかなりのリスクがあると思うが)。しかし維新は、明らかに目立とうともする。この二つは両立するが、両立させる気があるならばこそ、自党への政権交代を唱えはするものの、実が見えてこないのは問題だ。上で挙げた限界について、具体的に考える姿勢を見せなくては、この状況は変わらない。そしてそもそも、この状況が変わっても、政権交代は容易ではない。

圧倒的な組織票を持ち、こだわりのない万年与党として、有権者に利益をもたらすことができる自民党。それに勝つだけでも大変なのに、自民党政治を問題視する政党が2つの極に分かれ、相容れない。相手を憎み、子どものようなケンカをする。この状況が改まらない限り、維新は第2党(野党第1党)になる事は出来たとしても、政権交代は遠い。

「永田町での離合集散には懲りた」、「立憲と組むのは野合だ」というのは分かる。独自に党勢を拡大したいのは分かる。政権獲得を理念や政策より優先することには、当然問題はある。しかし2016年に民主党を乗っ取る事は、その気になればできたはずだし(※)、今、他党との合流によらずにこれだけの議席を得たのだから、過去の失敗から学んだ上での、今までの者とは違う、より良い協力、再編もある程度可能だろう。

保守系の新党の限界について述べているが、「保守系の新党に限界があろうと無かろうと、一般の国民には関係ない。限界を感じれば支持政党を変更するだけだ。」というわけにもいかない。日本にも限界はある。

日本の限界については、規制、慣行、それらの影響を受けた生産性、革新性の不足、そして長期的には、少子化の問題として語られる事が多い(少子化は子どもを産みやすく、育てやすくするという課題だけではなく、外国人労働者の受け入れとも関係してくる)。しかし、日本が変化を想定してはもちろん、状況を見た上ですら、なかなか有効な手を打てない、旧態依然としているのはなぜか。それは、日本を本気で改革しようとする政党の政権が、誕生しないからだとよく言われる。そういう事も当然言える。しかしそれもまだ、表面的な事だと筆者は思う。

問題は、民主主義国日本を支える土台にあると考える。国民の生き生きとした政権選択がないという問題だ。「国民の選択などろくでもない」という見方も有力だ。確かにそうかも知れない、しかし政権を選び取る国民。政権を評価しない場合、政権が長く続き過ぎた場合、未熟な野党に政権を任せ、経験を積ませる国民と、その国民を見る政党は、共に鍛えられるものなのだ。

しかしそんな関係は日本にはない。あるのは早すぎるあきらめ、目移り、お上(優位政党)に文句を言いながら全てお任せ。この3点セットだ。これは仕方のない事でもある。日本は欧米に遅れて議会を導入し、第2次大戦後ようやく議会制民主主義の国となった。愛国心の強い人の中には、このような指摘を見るだけで、感情的になる人もいる。しかしその人達にこそ言いたい。ならばアジアで、民主主義国の手本になれと。韓国、台湾に先を越されたようにも見えるが(前者には前大統領が追いつめられるという欠陥もあるが)、この両国は大統領制だ。大統領制であれば、候補のスター性が選挙に影響を及ぼすので、政権交代は起こりやすい。議院内閣制の日本が、政権交代を安定的に定着させれば、多くの国の手本になれる。そう考えて欲しいと思う。そのためにも政党と国民の関係、互いを見る目が重要だ。

立憲民主党は100議席に迫る。日本維新の会はまだ約40議席。これはかなりの差だ。一方で維新は上向き、立憲は今のところ下向き。これは維新がさらに伸びるための足掛かりのようなものではある。しかし、自民党のライバルを決める準決勝、2位争いを続けることに、つまり自民党のライバルが決まらない、事実上存在しない状況が続くことに、日本の民主政、日本の国力が耐えられるだろうか。なんとか耐えるとしても、そこにはほとんど「しょぼいゲーム」の選手と観客しかいないのだから、進歩はない。成長はない。

政党間の本格的な競争がなければ、政治の質は低下するものだし、政権交代が非常に起こりにくいものの、状況次第で、絶対に起こらないとは言えない、【日本の政治風土+小選挙区制】という組み合わせは、優位政党に自尊心だけを与え、寛容さを奪う。中選挙区制の時代のように、自民党がいつまでも野党に寛容だと考えない方が良い。その兆候はいくらでも見られる。このままでは遠くない未来、報道も何もかも、自民党を批判できなくなるだろう。現に今、野党が自民党を攻撃する姿勢が批判の的になっている。

維新は急伸した勢力だけあって、議員の質に問題がある(地方議員、議員の秘書を含め、問題を起こす者があまりに多い)。国民に直接訴えるのは良いが、SNS等での軽率な発信も多い。それが維新にとって致命傷にならないのは、国民がこのような問題に、良くも悪くも重要性を感じなくなっているからだ。しかし自民党が維新を落とそうと本気になれば分からない。国民の感覚ですら、操れないものではない事は、歴史が示している。

これに関して気を付けなければいけないのは、新党のブームである。小選挙区制が導入されてからは、新進党が自民党の脅威になると民主党が生まれ、民主党が脅威になると「自共対決の時代だ」と、民主党の埋没が図られ(このような発言をする自民党要人が何人もいたと記憶している)、さらにみんなの党ブーム。そして、政権を取ったものの失敗した民主党系に、2016年の参院選で復調の兆しが見えると、希望の党ブームが起こった。それが行き過ぎて、自民党を脅かす状況になると、すぐに立憲ブームが起こった。野党共闘が進み、自民党の敗北が予想されることが増えると、維新が注目されるようになった。全て自民党の陰謀だとは言えないが、少なくとも、広義の自民党側とし得る勢力の策謀は、否定し難い(2017年の総選挙の前の、希望の党の公認を得られない議員の「排除リスト」について、出所が不明だと言う関係者の主張も気になる)。

左派野党の支持者には、維新が勝つくらいなら自民党が勝った方がましだと考える人も多くいる(筆者は戦略上そう考える場合を別として、このような考えには否定的である)。逆もまた同様である。野党共倒れの先には、一方の票の優位政党への異動、つまり優位政党のさらなる強化が待っているのだ。

維新の会の責任は、今回の躍進でまたさらに重くなる。政権を目指す政党なのか、自民党にぶら下がる政党なのか、そのどちらでもない、かつての共産党のような政党なのか、試される。

この事を何度も述べるのは、正直気が引ける。それでも言うのは、維新が自民党政権の「良き理解者」だからだ(自民党の総裁が岸田になったからといって、この路線が捨てられるかはまだ分からない。自民党の一部に、その一部が自民党を離党しないまま、利用される危険も十分にある)。他の野党が審議拒否をする事を批判するのは分かる。しかし少数派の抵抗の手段としては認められるべきだと思う。少数派に配慮するのが本来の民主主義だ。

検事長の定年延長を内閣がしてあげられるようにする、検察庁法の改正についても、賛成する姿勢を維新は示した。この問題についてはすでに述べたので繰り返さないが(『続・政権交代論』「国難の時に気をつけなければいけないこと」参照)、1党優位の強権性、隠蔽体質を、維新は事実上かばっている。他の野党と一緒になって追及するのが嫌でも、せめて追及する事を否定しないで欲しいと思う。追及の仕方を問題視するのは分かるが、これがタダでさえ弱い監視機能の、破壊につながっているという自覚が欲しい(民主党系の追及の質の問題は、また別の話である。維新が強くなる方が、最終的にチェック機能が強化されるとしても、それまでの時間が問題だし、筆者は強化されるとは思っていない)。

スキャンダルがあっても仕事をしている、改革をしてくれる与党が良いと考える人もいるだろうが、そういったところから、国は、権力は、おかしくなっていくものだ。政党がそれに乗っかるのは「悪しきポピュリズム」だ。維新の議員達は、口では批判も必要だというような事も言うが、左派野党に対して「追及ばかり」、「反対ばかり」である。立憲民主党が自民党政権の足を引っ張る勢力なら、維新は立憲民主党の足を引っ張る勢力だ。そして自民党も実は維新を軽視しており、同党が出す法案はことごとく葬られてきた。体裁を整えたい時にだけ、附帯決議か何かを付け、「野党の維新も賛成している」と言うために利用する。動物が自分のしっぽを噛んでグルグル回る絵が思い浮かぶ。こんなことで1党優位を抜け出せるはずがない。維新が望んでいるであろう、合理的な政治の実現も無理だ。

野党全体、あるいは他の野党の問題を押し付けるようでもあるが、この点でこそ、維新には工夫して欲しい。この状況を変えることが、日本の真の改革だと思うからだ。民主党政権の実現で、それは一度大きく前進していた。それが失敗したからといって、戻るのは違うと、筆者はずっと考えてきた。「痛みを伴う」と、簡単に言ってはいけないと思う。しかし取り返しがつかなくなる前に、過去に戻らず、日本は変わるべきだったのだ(独裁国家を目指すのなら別だが)。

そういう筆者も2012年に限っては、維新の会とみんなの党に期待した。民主党の下野が避けられない中、自民党に政権が戻るには早すぎるし、二度と政権交代が起こらないというような状況になっては困るからだ。しかし、この両党すらまとまらなかった。総選挙を協力して戦えない事になった時点で、筆者は失望した。見切りをつけるのには早すぎたのかもしれないが、さすがに初歩、いや準備運動の時点で大きくつまづく場合、逆に早く切った方が良いとも思う)。今も同じだ。立憲も維新も性格は違うが、幼い子どものようだ。自らと比較的近い政党との協力関係すら安定しない。「痛みを伴う」と言うと小泉改革のようなのだが、この改革こそ、真の改革だと思う(小泉改革にも必要性があったが、弱い立場の人を軽視した点で、痛みが安易に与えられたと思う。そして何より、問題はより深刻なところ、民主政の土台にあると思うのだ)。

優位政党の痛いところを突いて来る左派野党(従来の野党)をたたく維新は、自民党、自民党内の後ろめたい事のある議員達にとっては、強力な用心棒だ。そういえば、小池都知事も、自民党全体の批判となる事はなるべく控えていた(希望の党が支持を失い始めると、総選挙ではついにそれができなくなったが)。それを言えば公明党は、共産党とれいわ以外の、どの党からも、あまり批判されない。素晴らしい党だからではなく、組織票を持っており、自分達が有利になれば、利用できる政党だからだ。

維新の会は「是々非々」と言う。これは結成当初の民主党も言っていた。しかし、結局第2党になるとそうもいかなかったし、それ以前からも分かりにくいと批判されていた。

今は確かにその頃とは時代が違う。しかしだからこそ、あえて言いたい。良いと思う点で協力し、悪いと思う点では反対する。抵抗はしない。これでどうなるかと言えば、何も変わらない。良い点についても悪い点についても、何も変わらない。

そもそも、維新が協力しようがしまいが、予算や法案は成立する。選挙協力が必要だから、自民党が公明党を切る事もない。切る時があっても、それは野党が弱すぎて、切っても政権交代が起こらないと自民党が判断した時だ(そうとばかりは言えなさそうな点もあるが、公明党について述べる際に確認する)。さらに言えば、そのような状況を受け入れ、多くの政党が自民党にすり寄り、自民党の下にぶら下がろうとする時だ。

人間関係なら、友人の良くない点を本当に直して欲しいと思えば、けんかをしてでも思いをぶつけるだろう。それは維新よりも、左派野党の姿に近い(同じだとは言わないが、比較すればずっと近い)。維新の姿勢は、困った顔をしながら、別の点について友人をおだてながら、ただついて行くのに近い。それは厳密には、友人ではなく子分だ。いや、良い子分なら、親分の問題点を正そうとするはずだ(自分が正しいと過信するのは危険だが、それは見て見ぬふりをする理由にはならない)。

「スキャンダルの追及よりも、法案の問題点などを細かく問いただすほうが自民党には痛い」と、維新は言うだろう。しかし実際に見れば、ダメージの度合いは分かる。確かに良い議論をして法案を修正する事は重要だ。しかしそれすら、どれだけできていると言えるだろうか。

筆者は集団的自衛権にはずっと賛成だ。しかしそこにも盲点、というより政治家たちが目をそらしている点がある。アメリカが、いつでも命に替えても、日本を守ってくれると信じるのは危険だという事だ。維新も、【1強多弱・野党間の協力困難】という五十五年体制の再現を自分達でもしておいて、「五十五年体制の再来だ」などと騒いでいないで、左派野党に政権運営の経験を積ませるべきだ。かつての社会党、民主党のように、政権の中心に就けて現実的にさせなければ、国防の本格的な議論はできないだろう。あれがスタートだったのに、すぐに自民党に戻してしまう。維新が仮にもし政権を取るようなことがあっても、このままでは同じ事になる。

改憲、人権に関する対中非難決議の進め方を見ていると、自民党自体が非現実的な平和主義で、野党の姿勢を特に拡大解釈して、利用しているようにすら、見える(強硬姿勢を採るのが国防上危険、経済に悪影響だという面もあるのだとしても・・・)。

議会政治の先輩国がして来た、政党を育てるということをせず、応急処置だけしていても、政党も国民も、成長はしない。

筆者が批判をしたところで、維新は今、ハネムーン期間である。しばらくは温かい目で見てもらえるだろう。それでも良い。その間に主要野党としてどう振る舞うか、考えておいて欲しい。

 

維新の大阪での偉業と、国政でのあまりの中途半端さ→

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