日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
実業派の動き・選挙制度の影響(①⑦)~市部もほぼ現状維持~

実業派の動き・選挙制度の影響(①⑦)~市部もほぼ現状維持~

各政党、会派の議席数を総選挙前、総選挙の結果、第29回帝国議会開院当日の順に記し、()内には北海道3区を除く市部選挙区選出議員の数を記した。

立憲政友会: 206(26) → 205(33) → 212(34)

立憲国民党 : 86(13) →  91(12) →  87(12)

中央倶楽部:  48(16) →  29( 6) →  34( 9)

無所属  :  35(17) →  56(22) →  48(18)

欠員   :   4( 1) →   0( 0) →   0( 0)

合計   : 379(73) → 381(73) → 381(73)

 

一つ前の第10回総選挙では、都市部に変化が見られた。規制の党派(自由党系、改進党系、吏党系、新民党)の市部選出議員の議席、割合が軒並み低下し(特に憲政本党)、筆者が中立実業派に分類する戊申倶楽部の結成に参加する議員など、無所属の当選者の数、割合が増えた(第10章実業派の動き選挙制度の影響野党再編(①)参照)。市部の非常に多くが、大政党、特に与党に有利な1人区(小選挙区)であったにもかかわらずだ。選挙をすると無所属の議員(当選者)が増えるという傾向は、市部選挙区も郡部選挙区も同様にあった(郡部選挙区では既成政党が強いが、市部と違って選挙区の定数が非常に多いため、無所属等の候補も多く当選する)。しかしそれでも、第10回総選挙後に結成された中立的な会派(戊申俱楽部)において市部選出議員の割合が非常に高かったことは事実で、そこに既成政党の郡部偏重に対する不満が影響していたのは確かだろう(これについては第10章の各所で述べた)。

しかし第11回総選挙では、その傾向が後退したと言える。立憲国民党、中央倶楽部でこそ市部選出議員の数、割合が下がったが、優位政党の立憲政友会(自由党系)では明確に上がったのだ。加えて、立憲国民党は市部選出議員の数、割合を減らしたとは言っても、ほぼ同水準だ。そしてそもそも、前身と言える憲政本党(改進党系)の末期と比べて、市部選出議員が増えていた。それは又新会の一部と合流したためであった(戊申倶楽部からも7名の参加があったが、市部選出は2名のみ―これでも衆議院全体の市部と郡部の比率を考えれば多いが―)。特に東京市では立憲国民党は、第11回総選挙の前も後も、最も議席の多い党派であった。東京市は立憲国民党と、後に同志会(立憲同志会ではなく、又新会の後継会派)の結成に参加する議員が、ほぼ全議席を占めるような状況となった(東京市定数11のうち立憲国民党5、同志会に参加する無所属4、立憲政友会と中央倶楽部各1)。この事から立憲国民党については、改進党系という既成政党が市部選出議員の数、割合の水準を高め、総選挙ではその水準を維持したと捉えることが出来る。既成政党(自由党系と改進党系)について、第10回総選挙の傾向(両党にとっては良くない傾向と言える)が失われたという事もできるだろう。

政党ではなかったものの、第1回総選挙後から存在し続けている吏党系として、広い意味では既成政党とし得る大同倶楽部についてはどうだろうか。吏党系の帝国党は第9回総選挙後、他の党派との再編によって大同倶楽部となって、議席も市部選出議員の割合も増やした。しかしそれが第10回総選挙で元に戻ったのだと言える(市部選出議員の割合は帝国党時代よりは少し高かったが)。そして同様の事が、第11回総選挙でも繰り返されたのだと言える(大同倶楽部が戊申倶楽部等と合流して中央倶楽部になり、議席、市部選出議員の割合を増やしたものの、第11回総選挙で元に戻った)。既成政党に見られる、市部選出議員の数・割合が減るという前回の傾向が見られなかった(止まるか、反対に増えた)という事は、中央倶楽部には当てはまらない。

又新会系(筆者が新民党として分類する同志研究会系)についても見る。又新会解散時と、その後継と言える同志会(立憲同志会ではない)を比べると、市部選出議員の割合は同水準なのだが、双方の結成時を比較すると非常に高くなっている。具体的には次の通りだ。()内の数字が市部選出、⑩は第10回総選挙、「25」は第25議会開院当日。なお、同志会結成時の参加議員は又新会出身者12(5)+その他24(12)だ。

又新会⑩  又新会25  又新会解散時 同志会結成時

29(9) 45(14) 18(8)  36(17)

又新会の総数について、大雑把には次の事が言える。第10回総選挙後の新たな参加者で1.5倍に、分裂でその3分の1に、解散後だが総選挙でさらに3分の2に、同志会の結成でその3倍(又新会解散時と比べると2倍)になった。市部選出議員の数も、この総数の推移と非常に近い。つまり割合が一定に近いという事だが、又新会の分裂時に数・割合が少し高めになっている。つまり同志研究会の系譜(新民党)は、第11回総選挙で市部選出の議員の割合を高めたというより、その前の分裂によって高めたのだと言える。合流と分裂という大きな違いはあるが、離合集散で割合が増えたという点では、改進党系(憲政本党→立憲国民党)と同様である。そしてこれも改進党系と同様に、第10回総選挙で市部選出議員の数・割合を減らしたものの(ただ改進党系と違い微減)、第11回総選挙ではその傾向が見られなかった(止まった)。

又新会→同志会を既成政党と捉えるのにはさすがに無理がある。しかし既成の会派と捉える事は、できなくはないだろう(第9回総選挙より前から存在しているし、同様の性格の会派―新民党―は度々出現している)。すると又新会→同志会を含めて、既成の党派が市部において第10回総選挙で不振であった、その傾向が第11回では見られなかった。少なくとも低落傾向が止まったと、言えない事はないだろう。どうであれ、自由党系、改進党系、吏党系、新民党のうち、吏党系だけが例外だと言う事はできる。

ただし又新会→同志会については、注意しなければいけない。第10回総選挙において、都市部で非優位政党(非政友会)の議員、特に実業家等による会派を結成するような議員が増えたというのは、地主層を代表する既成政党の議席が、都市部では減ったという点で重要である(当時は日露戦争時の増税、その維持の後で、減税が問題となっていた。第10回総選挙後も、地租の減税が優先され、特に市部、実業家の間で要望が強かった3税廃止、営業税等の負担軽減は軽視された(註)。その中で又新会には、2つの性格があった。一つは、桂総理(第1次内閣)と伊藤立憲政友会総裁の合意に反発した、立憲政友会の離党者による会派同志研究会の流れを汲んでいるという性格。もう一つは、主に都市部の、進歩的な議員達による会派であるという性格だ。双方は重なっているが、次のような差異があった可能性がある。あくまでも分かりやすくするため、極端な例を示したものである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・薩長閥に対する姿勢  市部の民意

・政党離党者等の郡部選出議員    ✕         ✕

・政党出身でない市部選出議員   ✕・○(※)     ○

※市部選出の議員には、立憲政友会よりも桂太郎(薩長閥の山県-桂系)の方が、消極財政志向であり(少なくとも当時は)、自分達に近いという見方があった。ただしそういった議員は、主に中立的な会派に参加したものと考えられる。そして市部には民主化を求める声もあり、同志研究会系は主に後者と共闘、合流していたと考えられる。

 

分裂後の又新会には、もはや立憲政友会出身者は残っておらず(ただし同派解散前日に、立憲政友会出身者が1名加盟)、市部選出の議員の割合が比較的高かった(同志研究会結成時にはこれが低いのだ)。この又新会→同志会については、既成政党に近い郡部型の性格もあったが、都市型の性格を強めたと見るべきだ。しかし同時に、この変化を明確に捉える事はできないし、そもそもそんな事とは無関係に、とりあえず参加したという議員も一定数いたであろうから、安易に決めつけるわけにもいかない。

次に、増減の傾向は置いておいて、第11回総選挙後の、衆議院の全議席における市部の割合(約19.9%、ほぼ5分の1)と各党派の市部選出議員の比べると、中央倶楽部と同志会が高い。同志会は約47.2%と半数に迫る高さで、中央倶楽部は約24.1(約4分の1)から約29.4%程度だ(総選挙前の方が3分の1と高い)。吏党系も同志研究会系(新民党)は本来高くないが、中立実業派の会派等との合流を繰り返す中で高まっていた。同志会結成後、無所属議員は非常に少なくなったから、市部の声は吏党系と新民党に主に代表されるようになったのだと言える。

最後にまとめると、第10回総選挙では市部の選挙区において、実業家等の無所属の当選者が増えたが、第11回総選挙では、それが引き続き増える傾向は見られなかったということが言える。

選挙権の拡大が実現すれば、直線的に出なくても変化する可能性はあったが、それも短期では非常に難しく(貴族院で否決されれば法案が成立しない)、衆議院における立憲政友会1党優位の傾向も含む状況の変化を望む者は、政界再編に期待するしかなかった。またその再編は、衆議院をこえて薩長閥を巻き込むものでなければ、現状を変えるレベルのものにはなり難かった。当時の市部の声は、吏党系と新民党に主に代表されるようになったのだと言える。ただし実業家(中小)の代表と、都市部の進歩的な考えの代表が、かならずしも一体であるわけではないという問題もあった。この両派と、かつて市部選出議員の割合が比較的高かった改進党系は、桂新党結成による再編に関わることになる。

なお、筆者は無所属の当選者を、各党派の内部のどの勢力が擁立したのか、あるいは積極的に支持したのか、確認していない。これが分かれば、ここで述べた傾向について、より明確な事が言えるようになるかもしれない。

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