補足~桂新党(立憲同志会)結成までの出来事~
2012年(大正元年) 12月 5日 第2次西園寺内閣の総辞職が決定 12月14日 交詢社(福沢諭吉らが結成した社交クラブ)の有志が憲政擁護会を結成。立憲国民党、立憲政友会の議員も参加し、護憲運動が広がっていく。 12月 …
2012年(大正元年) 12月 5日 第2次西園寺内閣の総辞職が決定 12月14日 交詢社(福沢諭吉らが結成した社交クラブ)の有志が憲政擁護会を結成。立憲国民党、立憲政友会の議員も参加し、護憲運動が広がっていく。 12月 …
当時の政界を現在の視点で見れば、総選挙の結果に影響こそ受けるものの、総選挙による審判自体は受けない薩長閥が守旧派。議会、特に国民に選ばれる衆議院中心の政治、そこに基盤を置いて政権獲得を目指す政党が進歩派、あるいは民主的だ …
内政、特に選挙を担当する内務大臣に、山県-桂系の政党対策を担っていた大浦兼武が就いたことに、立憲政友会は反発した(『原敬日記』第5巻159頁-1912年12月18日付。西園寺が「吾々を斬るの意味か」と問い、桂が苦笑したと …
第2次西園寺内閣は緊縮財政を貫こうとして、引きずりおろされたという事になる。しかし、坂野潤治氏の研究等に詳しくあるように(坂野潤司『大正政変』79~115頁)、内実はそう単純ではなかった。桂との協力関係によって党内で力を …
立憲政友会1減の205、立憲国民党5増の91、中央倶楽部18減の29。無所属21増の56、計381(初めて沖縄県で総選挙が行われたため、定数が379から同県郡部-市部選挙区は無し-の2議席分増えた) ①選挙 …