1-28政党を「コロコロ変える」には2種類ある?1.政権交代論

小沢自由党の変遷

自由党が登場したから、新生党からの同党の系譜に対する筆者の考えを、繰り返しとなる部分もあるが、述べておきたい。

まず、羽田・小沢派が、自民党を離党して新生党を結成したことで、自民党の衆議院における過半数割れ、さらには政権交代を実現させたことは、それが有権者の決断によるものだとは言い難いとしても、高く評価する。与党自民党を離れるというリスクの伴う行動を、ほぼ派閥単位で実現し、五十五年体制を壊し、時代を前に進めた功績は計り知れない。

次に非自民・非共産連立内の対立である。新生党は、国際社会において役割を担うこと(当時では主に自衛隊の海外派遣)に積極的で、当時日本の主要政党に見られなかった新自由主義的色彩も持っていた。この姿勢も、当時需要があるものでもあり、評価できる。しかし、これを評価した時には、非自民・非共産連立内閣の成立自体が問題となってしまう。新自由主義ならそれまでの野党、特に社会党と組むべきではなかったということになるからだ。しかし連携相手を選んでいては、自民党を中心とする政権しか誕生せず、自民党1党優位に容易に戻る状況であった(当時衆議院の定数は511であったが、自民党は230と220の間を推移し、第2党の社会党は、70議席強に過ぎなかった)。

政治改革など、特定の政策の実現に目的を絞った期間限定の連立ならば、参加する全政党が、その政策で一致できれば許容範囲内、いやむしろ求められたものであったと言える。しかしその場合、自民党を何年間野党にしておくのか、という問題が今度は現れる。自民党が弱らなければ、政策を軸とした真の政界再編、中でも重要な、1党優位を回避する再編を実現することができないからだ。小沢側が優位政党になるというリスクももちろん、あるにはあったが、もし小選挙区制中心の選挙制度にした上で、第1党の自民党に政権を「返して」いたら(実際にも、事実上それに近い形になったが)、ただただ、自民党がより優位になるだけで、変化はあっても、改革の成果が得られない可能性もあった。

そう考えると、細川内閣総辞職のタイミングで、小沢が社会党の影響力低下(場合によっては左派の切り捨て)、自民党からの、新生党の政策に共鳴し得る勢力の分離を策したことは、現実的には最善の策であったように思えてくる。ただ、社会党などに対する誠意が足りなかったということは間違いない。

連立与党の内紛が深刻になれば、十分与党への返り咲きを期待し得た自民党に対して、切崩し工作を公然と行うのは難しかったと言える。しかし、それを承知であえて言えば、有権者の見えるところで、従来のばらまき型の保守(自民党)、社会民主主義(社会党)、新自由主義的改革派(新生党)という選択肢があり、いずれどれを支持するのかを問うことを明示した上で再編に進むということも、可能であったのではないだろうかと、あくまでも後になってからではあるが、思うのである。そんなことをすれば、自民党に政権がもどり、「なんとなく」1党優位制が続いていた可能性が高い。そうなれば政界再編も、自民党を巻き込む大規模かつ本格的なものとは、なり難かった。しかし実際には、結局自社さ政権になったのだから、3党の陣営が競わざるをえない状況になるような演出をすれば、違った展開を見ることが出来たと考えるのは、甘いだろうか。

筆者は保守2大政党制を望まないから、保守2大政党制へと進む可能性の高い、自社さ連立政権(中道左派)と、新進党(中道右派)への整理には、複雑な思いがあった(新進党に参加した中道の勢力は新生党に同化し、人気の落ちていた社会党は、小選挙区制中心の選挙制度では特に、勢力のさらなる大幅な縮小が避けられない状態であった。自民党を野党にする政権交代が、新生党の誕生に頼るものであった以上、その段階ですでに、保守2大政党制へと進む可能性が高かった)。当時の政治をモデルにした弘兼憲史の漫画、『加治隆介の議』では、自民党に当たる政党が、民主党にあたる政党と合流し、「国民福祉党」という、社会民主主義的な政党になった。それに近い状況になる可能性もあったが、高かったとは言えないと、筆者は思う。今の、かなり右に寄った自民党にはなっていなくても(新進党がそうなっていた可能性が高い)、自民党は合流相手の党を飲み込み、自民党のままであったと思うのだ。

なお、『加治隆介の議』は、非自民・非共産連立→新進党が政権を維持していた場合の展開を描いていると言え、とても面白い。共感する部分もあるのだが、最後に総理大臣になる主人公が、不倫をした挙句、その相手が中絶をしている。残念ながら政治家に政略結婚が比較的多いことは想像できるし、不倫の物語を否定するつもりはないが、右寄りの人々の自尊心、憧れ、そしてきれいごとが好きな左派への対抗心をくすぐる設定に見えてしまい、好きになれない。

話を戻すと、新進党の結成当初までは良かったが、その後激化した新進党内の対立は、みっともないものであった。すでに見たように自民党出身者達から離党者が続出したし、同じ旧新生党系の、つまり自民党出身の小沢らと羽田らの対立が中心となり、他の議員の多くが、どちらかに加勢した。誰に問題があったのかということは置いておいて、旧新生党、あるいは他の議員を含めた自民党離党者同士は団結するべきであった。公明(公明党系のうち、まだ新進党に参加していなかった部分)の合流撤回問題もあったが、自民党出身者が団結していれば、党の勢いもあそこまで削がれなかっただろうし、そうなれば公明の姿勢も、もしかしたら変わっていたのではないかと思われる。1995年に比例の得票、議席、都道府県ごとの選挙区の得票の合計で自民党を上回ったことは大きい。自民党出身者も、創価学会も、根気が足りなかったのだと言わざるを得ない。

このことと関係が深いが、小沢がストレートな政権交代をあきらめ、自民党と自身の新進党との、保・保連立を策したことについて述べたい。これは王道ではないが、自民党の1党優位が崩れそうにない以上、自民党の分裂を意図したものであるなら、理解できないことはない。この前後の小沢の主張、動きを見れば、そのようなものであった可能性が高いから、次善の策であったと、筆者は考える。しかしやはり、これに反対の、いや少なくとも消極的な議員達を、誠心誠意説得する必要があったのではないかと思う(筆者は当時の内情を知っている訳ではないが)。

この保・保連立が実現したのが、新進党を解党して小沢がつくった自由党と、参議院で過半数を下回っていた自民党との連立である。しかし自由党は、新進党よりずっとずっと小さい、第2党でもない政党であった。それでもこれは、すでに見た通り、成果を上げた。だが筆者は否定的に見ている。成果は評価するのだが、あれだけ議席数、党の歴史の長さに開きがある連立では、自民党に利用されるだけであり、実際、公明党も連立に入ると、そうなった。与党になりたい中小政党が優位政党にぶら下がるという構図には、「不健全な「閣外協力型」政治」などで述べたような問題があり、政権交代を遠ざける点でも、問題がある(この20年あまり、社さ両党の分裂、没落後の自社さ連立、自自連立、自自公連立、自公保連立、自公連立、自公連立+小政党の協力体制という、自民党中心の政権が、民主党政権の約3年3ヶ月を除いて続いている)。

さて、自由党はその後、民主党に合流した。新自由主義的な小泉政権を前にした自由党の左傾化には、変節したという面もあると思うが、野党の強化、社会民主主義的な勢力の強化につながったという点では、筆者は高く評価している。逆に民主党政権時代の、民主党からの小沢らの離党については、民主党に問題があったとしても、党内で、党を動揺させない程度に主張しても良かったのではないかと思う(主張が通らずに終わっていたといしても、実際の民主党政権の、あの崩れ方よりはましであったし、野党転落後であっても、軌道修正の機会はあったかもしれないと思う)。

その後、嘉田由紀子滋賀県知事を担いで結成した日本未来の党自体については、民主党政権の採るはずであった路線を引き継いでいる点で、評価できるにしても、結成から1ヶ月での分裂は、あまりに早かった。それも小党の主導権争いであり、小沢が率いる政党に対する支持は、決定的に減少したと言える。

こうして結成された生活の党の民主党との協力は、「それなら離党しなければよかったのに」と思いつつも、評価せざるを得ない。自由党への名称変更は、「生活」という左派色のある党名を、かつて一定の支持を得た小沢系政党の名称、保守層が票を投じられるような名称に変えるということであるらしい。今の同党の理念、政策には合っていないように思われる。希望の党への合流を策したことと同じく、政策よりも議席を伸ばすことを重視しているという印象を与えかねない。議席を得なければ、そして政権を得なければ政策も実現できないという、小沢の現実主義は分かるが、そうであれば、野党の選挙協力や再編等で、成果を上げなければならない。

自由党の希望の党への合流は、参議院議員は自由党に残り、小沢と玉城デニーという現職であった全2名が無所属で衆院選に立候補するという、もはや、合流とは全く言えない形になった。しかも同党の一部の候補者は、立憲民主党から出馬した。

しかし小沢の、野党団結による政権交代のための策としては、希望の党の結成時の勢いを見れば、次善のものであったのだろうと思うしかない。希望の党が共産党と協力することはないと言えたのに、希望の党への合流に踏み切ったことは、それまでの経緯、自由党の理念を棄てるようなもので、残念であった。共産党を取るか、希望の党を取るかで、有利な方を選ばなければ自民党を利するだけであったこと、消費税増税反対など、一致する政策もあったことも確かだが、残念だ。しかしこの残念な結果を招いた主犯は、小沢ではなく小池である。

その後の立憲民主党との協力は、野党第1党は立憲民主党であるべきだという、総選挙で示された民意を受けたものであるし(希望の党と日本維新の会が一体であれば別だが、そうではなかった)、希望の党の騒動が持ち上がる前の路線に戻ったということで、評価できる。混乱した左派陣営の、立て直しを期待したい。

最後に、小沢の、つまり小沢系政党の持論である国連中心の安全保障について、触れておきたい。これには確かに、国連がわずかな大国の意志によって動かされたり動きを止められたりすること、敵国条項が削除されていないこと、自らが常任理事国にもなれない中で、安全保障問題を国連の決定に委ねて良いのかという問題はある。しかし、北朝鮮はミサイルを打ってこないし、最低限の自衛力があれば良いという(あるいはそれも必要ないという)、従来の左派陣営の非現実的な立場を改めるには、良いものだろうと思う。