日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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第11章前編 1912年5月 第11回総選挙(前)第2次西園寺内閣~第3次桂内閣期

立憲政友会1減の205、立憲国民党5増の91、中央倶楽部18減の29。無所属21増の56、計381(初めて沖縄県で総選挙が行われたため、定数が379から同県郡部-市部選挙区は無し-の2議席分増えた)   ①選挙 …

現状編(No.1~6)

現状編No.1 最近の岸田内閣については全体的に、いくら批判しても良いという雰囲気になっていて、この図の内容に当てはまらない部分もありますが、根底にある重要な問題だと考えます。これが野党の過度な、非自民票が分散するような …

ドイツ帝国成立まで

ドイツ帝国の中心となるプロイセンでは、納税額や財産による制限こそなかったものの(公的扶助を受けていない等の条件はあった)、3等級に分けられた間接選挙の、つまり貴族や大ブルジョワが人口に比して過大に代表される下院が設けられ …

ドイツ

・ドイツ帝国成立まで ・帝政期 3.16 new(ホーエンローエ内閣期まで)   以下も、今後追加予定 ・帝政期(ビューロー内閣期~) ・ワイマール共和国 ・第2次大戦後

第10回総選挙

大同倶楽部新議員 内野延     大同倶楽部→中央倶楽部 岡崎運兵衞   大成会→協同倶楽部→独立倶楽部(1)→独立倶楽部(2)→溜池倶楽部→芝集会所→政務調査所→帝国党→大同倶楽部→中央倶楽部→立憲同志会→憲政会 奥田 …

野党再編(⑬⑭)~非政友会再編の動き~

1912年2月12日付の読売新聞は、5千万円の歳出削減を唱えていた中央倶楽部と、6千万円余りの歳出削減を唱えていた立憲国民党の、提携への動きが進む見通しである事、提携への動きが内閣交代(第2次西園寺政友会内閣成立)の時に …

選挙制度の影響・1党優位の傾向・新民党(⑭)~優位政党が望む小選挙区制~

衆議院への、各選挙区で1位となった候補しか当選しない小選挙区制の再導入は、当然ながら優位政党である立憲政友会に有利であった(法案には2人区もあったが、以前の小選挙区制と同様に連記制であった)。だから同党が、(同党以外も含 …

1党優位の傾向(⑬)~新与党の試練~

辛亥革命に関し第2次西園寺内閣は、清を(列強と共に)立憲君主制に着地させる事を試みたが、イギリスが状況を見て清朝の存続にこだわらない姿勢を採ったため、清が倒れる様子を見ていることしかできなくなった。この第2次西園寺内閣の …

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