日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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連結器(⑫他)~すでに役割を失っていた2大民党の連結器~

又新会残留派の松本恒之助は、もともと、三重県郡部から出身地である高知県の郡部に選挙区を移した大石正巳から後継指名を受けて、第8回総選挙に立候補した。当時は第1次桂内閣期であり、松本は、立憲政友会の尾崎行雄と憲政本党の大石 …

1党優位の傾向(⑫)~現在においても重要な指摘~

原敬は1910年12月14日付の日記に下のように記している(『原敬日記』第4巻153頁)。この日の日記には、桂が条約改正後に辞職し、再び総理には就かない事、後継は立憲政友会に譲るという内容の話をしながら、後継を西園寺(立 …

1列の関係・2大民党制(⑫)~立憲政友会より桂内閣の方が進歩的であるという面~

工場法案とは、職工の最低年齢を15才とする事や、女性の深夜就業、危険・有害業務への就業の禁止を定めた、労働者・年少者を保護するためのものであった。しかし例外も認められた(勅令によって適用を除外できた)。法案は、常時10人 …

1党優位の傾向(⑩)~「神聖なる優位勢力」を前に野党がいがみ合う~

又新会(残部)の存続、再編、解散が問題になった時、存続に反対した花井は、次のようにも述べている(1910年12月21日付読売新聞)。 國民黨は政友會を罵り政友會は國民黨を罵り在野の政黨政府を向つて戦ひを挑むの氣力なく政府 …

1列の関係・(準)与党の不振(⑫、補足~貴族院会派~)~山県-桂系と立憲政友会、上院と下院ですみ分け~

山県-桂系と立憲政友会、上院と下院ですみ分け~:貴族院の伯、子、男爵議員の互選は情意投合の後であった。山県-桂系は立憲政友会の協力に助けられたこともあってか、自らが政権の中心を担っている時期に、つまり有利な時期に、有爵議 …

1列の関係・野党の2択(⑫)~桂の姿勢が2大政党に及ぼす影響~

1911年度予算案には、海軍からの要求が強まっていた海軍拡張費が含まれていた。第26回帝国議会期、地租軽減を0.8%に抑える理由として、所得税の減税を挙げていた桂であったが、その余裕はなくなり、政策的な取引、駆け引きでは …

1列の関係・1党優位の傾向・野党再編(⑩)~野党再編と1列の関係~

衆議院における1強2弱を改めるためには、あるいは政界全体における2強化(薩長閥と自由党系―立憲政友会―が対等に近くなくる状況)の中で、その一方である薩長閥が、唯一の民選の機関であった衆議院にまともな基盤を持っていない状況 …

1列の関係・野党の2択(⑪)~鉄道広軌化と、政国合流を狙う犬養~

※当時の再編に関しては図⑩-Q参照。 1910年11月9日の原敬の日記から、立憲国民党の非改革派の領袖であった犬養が、立憲政友会との合流を主張していたことが分かる(『原敬日記』第4巻110~111頁)。しかし原は、立憲国 …

実業派の動き(⑩)~過渡期の会派、戊申俱楽部~

憲政本党、又新会だけはでなく戊申倶楽部にも、単にまとまりがないというのではなく、明確な亀裂が入っていたことは特徴的である。確かに前二者の不統一と、戊申倶楽部の不統一とは異なる。政党でない会派を巻き込んだ再編が進むにつれ、 …

新民党・実業派の動き(⑩)~又新会の解散、揺れる無所属的議員~

又新会残部には存続を唱える議員達がいたが、同派は結局、非政友会再編(2つの小合同の実現)の約9カ月後の1910年12月21日、再編後初の帝国議会(第27議会)開会を迎えることなく、解散した。解散時の議席は18議席であった …

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