日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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野党の2択・野党再編・新民党(⑩)~立憲国民党の結成~

憲政本党、又新会、無名会は、中央倶楽部の結成を追うように、同派結成の10日後の1910年3月13日に、立憲国民党を結成した。これには憲政本党の全63名が参加したが、又新会からの参加は、全33(もともと又新会の小合同派であ …

(準)与党系の不振・実業派の動き(⑩)~中央交渉部の復活という面も~

もともと中立実業派には、会派であった当時の吏党系が政党の色を濃くしていく中で、そこから離れた勢力という面があった(第1回総選挙後にすでに、吏党系の大成会から、民党的―野党的―な議員、中立的な議員が離れるという動きがあった …

実業派の動き・野党再編(⑩)~吏党系再拡大、中央倶楽部の結成~

1910年2月25日、戊申倶楽部の代議士総会が開かれ、中安信三郎が幹事会の経過報告をした。その内容は、肥田、仙石、中村、千早、中安が出席し、肥田が憲政本党と又新会に新党結成の議論がある事を受け、戊申倶楽部が主唱して各派に …

新民党(④)~政党化の是非③新民党(同志研究会系)~ 註

櫻井良樹氏の、蔵原惟郭(猶興会→又新会→無名会→立憲国民党→無所属団→立憲同志会衆議院議員)に関する研究(『大正政治史の出発』第3章)によって、又新会の蔵原の考えを理解できる。それは同志研究会系、その他の組織が集まった政 …

(準)与党の不振・実業派の動き・野党再編(⑩)~戊申倶楽部の再編への動き~

戊申倶楽部の一部の議員達は、淡々と再編への動きを進めていた(例えば1910年2月25日付東京朝日新聞。同派の肥田景之と中村弥六が又新会の河野、島田、大竹、細野に、戊申倶楽部と大同倶楽部の合流に加わるように申し込んだ事、両 …

新民党・野党再編(⑩)~又新会の分裂、無名会の結成、小合同へ~

宮地正人氏は、1909年末から1910年初めにかけて、同派が以下のグループに分かれていったとする(宮地正人『日露戦後政治史の研究―帝国主義形成期の都市と農村―』275~276頁)。()内、「…」以下は筆者が足したもので、 …

野党の2択・野党再編(⑩他)~地方で見られた非政友会大同団結~

櫻井良樹氏は、立憲政友会の「党弊」に対する官僚派と非政友派の連合が、少なくとも一時的なものとしては、地方レベルでは当時存在していたことを、大阪の例を挙げて指摘している(櫻井良樹『大正政治史の出発』82~83頁。同著「はじ …

1列の関係・野党再編(⑨)~優位勢力は薩長閥か自由党系か~

憲政本党改革派の武富時敏は、立憲政友会が地租軽減を実現させたことについては評価しつつ、そのために他の廃減税が犠牲になっているという事を指摘した(『帝国議会衆議院議事速記録』二四143頁)。第2党の要人が、政友会内閣期でも …

実業派の動き(⑨)~揺れ続ける戊申倶楽部~

戊申倶楽部も相変わらず揺れていた。1909年10月3日付の読売新聞は、戊申倶楽部の中野、西村ら「商工組」が、同派の牛耳を執る(記事では「採れる」)仙石との間に、感情的な対立があることから、同派を脱して無所属となると言う者 …

新民党・実業派の動き・政界縦断(⑨)~2大政党制の芽~

又新会の小川は、文官任用令の勅任官に関する制限を削除することを求める建議案を提出し、これは満場一致で可決された(『帝国議会衆議院議事速記録』二四371頁)。同派の村松恒一郎は、官紀粛清を求める質問を、事態の深刻さを強調し …

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