新民党・実業派の動き(⑨)~生産者か消費者か~
第26回帝国議会では関税定率法輸入税法中改正法律案が成立した。これは、条約改正による関税自主権の完全回復を見込んで、関税を改めるものであった。米穀関税は、立憲政友会の主張の通り、引き上げられる修正が加えられた。一方で又新 …
第26回帝国議会では関税定率法輸入税法中改正法律案が成立した。これは、条約改正による関税自主権の完全回復を見込んで、関税を改めるものであった。米穀関税は、立憲政友会の主張の通り、引き上げられる修正が加えられた。一方で又新 …
第2次桂内閣は、社会政策と弾圧というアメとムチで社会主義運動を抑えようとしていた。ムチは弾圧であったが、「アメ」とは、労働者を保護するために工場法案であった。又新会の高木正年はこの法案の撤回について、政府が議会、国民を翻 …
当時の非政友会勢力再編に関する動きを、又新会(新民党)の視点から、まずは河野広中の伝記、『河野磐州傳』を用いて見る。1908年にさかのぼるが、同年春頃(第2次西園寺内閣期)から、大合同を志向する又新会の河野広中、島田三郎 …
帝国議会の会期に入ったことで、新党結成の機運が高まる一方、予算案や重要法案に対する立場について、各勢力の差異が浮き彫りとなった。それを考えれば、この時期に左右別々の小合同へと進んだのは、ごく自然なことであった。1910年 …
当時の日本の選挙制度は、一定の納税をしている国民にのみ選挙権が与えられるものであった。石井裕晶氏は、当時の制限選挙に注目し、地租の軽減だけだと、立憲政友会が強い農村部の有権者が減少する事を、同党が警戒していたとする。同氏 …
実業家の多くが期待した営業税の改正を成功させたことで、立憲政友会は、実業家層における支持を一定程度獲得することができたようである(又新会や戊申倶楽部の実業派は、内閣の営業税法中改正法律案について、商業者にむしろ苦痛を与え …
非政友会・親桂内閣の勢力がまとまって、立憲政友会1強の構図が弱まることは、第2次桂内閣にとっても当然、有利なことであった。しかし、小さくなっていたとはいえ、第2党の地位を守っていた憲政本党が一丸とならなければ、仮に再編が …
立憲政友会の原敬は1909年10月31日付の日記に、伊藤と縁故のある者はわずかに立憲政友会創立時の人々だけだとして、大隈が新聞で述べたようには同党が動揺する事はないと記している(『原敬日記』第3巻362~363頁)。伊藤 …
政友会内閣期には、反政権・反政権党、つまり反立憲政友会でまとまりやすかった非政友会の勢力は、山県-桂系の政権ができた事で左右に裂かれた。反政権(反山県-桂系あるいは反薩長閥)と反優位政党(反政友会)が一致しなくなったし、 …
第10回総選挙で半減した大同倶楽部(吏党系)だが、その核の旧帝国党の中でもしっかりしていた熊本国権党の地盤の熊本県では、県内の市部(定数1)を含む全9議席のうち、市部を含む6議席を得ている(九州では他に宮崎県郡部選出の川 …