第3極(⑬)~開けない展望~
立憲政友会の結成は、陸奥の政界縦断構想の再興であり、陸奥のまいた種が実を結んだものでもあった。だが伊藤の本来の志向は、各勢力を糾合することで、自由党系との連携の色を薄めることにあった。それは立憲政友会結成の際、各勢力に参 …
立憲政友会の結成は、陸奥の政界縦断構想の再興であり、陸奥のまいた種が実を結んだものでもあった。だが伊藤の本来の志向は、各勢力を糾合することで、自由党系との連携の色を薄めることにあった。それは立憲政友会結成の際、各勢力に参 …
自由党系は、山県に利用されたと同時に、政界縦断的再編を完成させるまで、与党的な立場にいるために山県を利用したと言える。当時の権力をめぐる駆け引きの勝者はどの勢力であったのか、まずは各勢力(薩長閥の場合は要人)の志向を見て …
帝国党の結成は、以前からあった吏党系の刷新を目指す動き、久しぶりに準与党となって、以前よりは順境にあった国民協会が、勢力を拡大するためでもあったが、国民協会の会頭(党首)であった品川弥二郎が、枢密院顧問官に就任したことを …
改進党系である憲政本党が野党路線を採ったのに対して、自由党系である憲政党は、準与党となった。本来の形(第2次伊藤内閣期につくられた形)に戻ったわけである。自由党系は、要求が受け入れられず与党にならなくても、結局内閣を支え …
日吉倶楽部は確かに、地租増徴と地価修正の実現に寄与した。しかしそれは、所属議員が切り崩されていく危険がある中で見せた主体性であった。薩長閥と民党(この場合は自由党系)が妥協し、協力するということは、民党が衆議院においての …
議員同志倶楽部は、その多く(結成時12名中6名―憲政党から憲政本党に移り、さらに地租増徴に賛成して憲政党に移った岡野寛を含む―、立憲政友会結成時を見ると8名中の4名)が憲政本党出身であったとはいっても、進歩党の出身者は1 …
選挙制度の改正について日吉倶楽部は、市部を独立した選挙区とすることは叶ったものの、否定的であった大選挙区制への改正を許した(田口が日吉倶楽部の議員達の同意を得て提出した選挙法の改正案については、『鼎軒田口卯吉全集』第5巻 …
尾崎の発言を取り消させる決議案について、島田三郎は、皇室の尊號を政争に妄用するものだとして、否認する決議案を提出した。帝国党の元田肇は、尾崎が真意を述べた以上、彼の発言を取り消させる動議の意味がなくなったとした。しかし菅 …
第13回帝国議会では、国民協会だけではなく、憲政党(自由党系)が第2次山県内閣を支持していたため、地租増徴案の衆議院通過が、以前よりも現実味を増していた。問題は、中立会派の日吉倶楽部、そして憲政党内において反対を貫こうと …
日吉倶楽部には、山下倶楽部、つまり実業派中心の会派の残存勢力という面がある(前身の同志倶楽部結成時の10名中5名が山下倶楽部出身者)。日清戦争後、日本の財政規模が拡大すると、それに見合う歳入を確保するために、主な税収であ …