日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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第3極・実業派の動き(⑧)~中立派に現れた対外強硬派~

有楽組から政務調査所の結成に参加した議員には、後に大日本協会の中心的な人物となる安部井磐根、神鞭知常、坂本則美が含まれていた。衆議院議員となる前、横浜税関、大蔵省商務局、農商務省に勤務していた神鞭は、通商に不利だと捉え、 …

第3極・実業派の動き(⑤⑥⑧⑨⑩)~2つの役割を巡る第3極の会派の分裂~

第2回総選挙後の中立派は、薩長閥と民党の展望なき対立を打開し、高地価地域の地主層等が求めた地価修正を実現させる役割を担っていたといえる。前者は、権力を巡る対立を、こう着状態であった薩長閥政府対民党という構図から、政界縦断 …

第3極(⑤⑥⑧)~紀州組の成功の後~

政界縦断の成功者の側にあった紀州組は、伊藤に接近したという点で準与党になったといえる。陸奥による長州閥伊藤系と自由党との政界縦断に、紀州組の将来はかかっていた。しかし星の影響力が疑獄事件によって一時低下し、陸奥が体調悪化 …

第3極(⑤⑥⑧⑨⑩)~野党化した中立派の役割~

独立倶楽部の分裂は上奏案によるものであったといわれているが、溜池倶楽部の結成はそれより少し前であり、溜池倶楽部の参加者は事実上独立倶楽部と分立したことから、独立倶楽部の分裂は、地価修正を巡るものであったと捉えることができ …

実業派の動き(④)~実業家中心の会派の誕生~

国民協会に参加しなかった実業派の議員によって初めて、「実業」の名を冠する会派が誕生した。実業といっても大小様々であり、実業家の議員は各党派に存在した。ただし大規模な商工業者は、その多くが政商といえるものであり、政府の富国 …

(準)与党の不振(④⑥⑨⑩)~難しい立場に揺れる国民協会~

第1次松方内閣が、大津事件や選挙干渉問題による閣僚交代等によって、長州閥の色を薄めると、長州閥と薩摩閥の議員が参加し、その融和を唱えていた国民協会は、難しい立場に立たされた。このことや、閣僚交代の際、自らに近い者として期 …

(準)与党の不振(④)~国民協会の結成~

西郷と品川は、薩長閥政府に吏党の組織化を一任されたわけではなく、むしろ独自に動いたのであった。中央交渉部内の議員は、国民協会への参加者と不参加者に分かれた。国民協会は、衆議院では中央交渉部90名のうち59名を集め、『議会 …

(準)与党の不振(④)~中央交渉部の分裂~

国民協会は、薩長閥政府支持派の色を、中央交渉部よりもさらに明確にしたものだといえる。その点で同派の結成は、政府支持会派の政党化への、大きな一歩であった。そうであればもちろん、国民協会の総選挙における獲得議席は、薩長閥政府 …

1列の関係(③⑥⑨⑩)~自由党の変化と立憲改進党~

自由党の実力者の一部は、野党共闘よりも薩長閥政府への接近を志向した。彼らには後藤、陸奥を通じる、長州閥とパイプがあった(改進党系にも、大隈と薩摩閥とのつながりがあったが、黒田内閣期の大隈外務大臣の不平等条約改正の挫折によ …

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