日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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第8章 ~1903年3月~

①選挙結果 立憲政友会181、憲政本党84、帝国党17、壬寅会15、新潟進歩党7、 無所属72(→中正倶楽部25、政友倶楽部13)、計376 立憲政友会、憲政本党の2大政党は前職優先の選挙協力をしたが、議席を少し減らした …

第7章

①選挙制度 衆議院議員選挙法の改正(第6章⑪参照)により、府県単位の大選挙区制となった(さらなる同法改正により、新たに人口3万人以上となった市、人口要件を満たしており、新たに市制が導入された市が独立した選挙区となり、横浜 …

第6章 ~1898年8月、第6回総選挙~

①選挙結果 憲政党263(→自由党系の憲政党112、改進党系の憲政本党138)、 国民協会20、無所属17(→同志倶楽部10)、計300 初めての政党内閣、それも圧倒的な1党優位の状況下での総選挙であった。優位政党である …

改進党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   帝国議会開設当時の衆議院における第1、2党は、立憲自由党と立憲改進党であっ …

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