日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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(準)与党の不振(①)~排除される「ゆ党」~

立憲政友会はさらなる分裂(それは優位政党の地位を失いかねないものとなり得る)を回避した。つまり山県-桂系は、切崩しによっても、伊藤の枢密院議長就任→総裁辞任によっても、立憲政友会を決定的な分裂に至らせることができなかった …

政界縦断・優位政党の分裂(①)~高知県の異変~

田中貢太郎著『林有造伝』によれば、土佐派の立憲政友会離党によって、高知県の自由党系の地盤が動揺し、吏党系との対立が激しくなると予想される中、千葉県の有志から出馬を求められ、理想的な選挙ができること、自由党復興のために有利 …

1党優位の傾向(①)~意外と変わらないものである議席数~

優位政党が議席数の水準を維持するという傾向は、現在まで見られるものである。1993年、自由民主党政権から、非自民・非共産の連立政権へと政権交代が起こった時も、総選挙において、分裂後の自由民主党はむしろ議席を増やした(公示 …

野党の勝利・2大民党制・(準)与党の不振・第3極(①)~第9回総選挙の結果~

第9回総選挙の結果を見る。議席の増減は、第9回総選挙へとつながる、第19回帝国議会における衆議院の解散当日(1903年12月11日)との比較による。ただし、会派自由党は同日にまだ結成されておらず、結成時の議席数が『議会制 …

補足~吏党系の拡大、大同倶楽部結成の経緯~

  1905年1月2日付の萬朝報は、会派自由党、帝国党、甲辰倶楽部、中立派を合して、少なくとも56人の代議士を得て、追々拡張しようと企てる者があるが、ものにならない模様だとしている。第1次桂内閣支持派の合流は、 …

(準)与党の不振(①④)~苦しい帝国党~

帝国党の佐々友房は、第1次桂内閣と立憲政友会の妥協について、無計画であっては忠実な者も離反すると、批判する書簡を桂に送っている(註)。その書簡には、決議案に賛成した議員がいることも記されている。吏党系の影響力低下について …

補足~日比谷焼き討ち事件から政界革新同志会の結成まで~

講和について、日本の全権が提示したものが報じられると、対露同志会、桜田倶楽部、江湖倶楽部、同志記者倶楽部などの対外強硬派が講和問題同志連合会を結成、これに反対する決議をなした。そしてこれを実行する方法として、東京で国民大 …

補足~日露戦争のための増税と各党派~

各党、会派の戦費のための増税等に関する主張は、当時の新聞報道によって、その多くを知ることができる。第20回帝国議会(特別会)は開戦後初の帝国議会であり、政府は地租、営業税、所得税、砂糖消費税、醤油税、登録税、取引所税、狩 …

補足~中立派の再編~

1904年3月17日、衆議院解散当日に中正倶楽部に属していた当選者の全12名、同じく交友倶楽部に属していた当選者10名のうち2名(共に青森県郡部選出の寺井純司、田中藤次郎)、衆議院解散時は交友倶楽部に属していたものの、会 …

補足~無産政党~

1905年8月、山路愛山や、社会主義協会(1904年に禁止)や平民社の結成に関わった斯波貞吉、立憲改進党出身(議員としてではない)の中村太郎八が、社会政策の徹底を唱えて、国家社会党を結成した。その綱領(1905年8月20 …

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