日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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野党再編(④⑤)~憲政本党と三四倶楽部に関して~

第7回総選挙前から第8回総選挙後にかけての状況を、少しさかのぼって確認する。第4次伊藤内閣期に増税案に賛成した憲政本党は、自らが、立憲政友会よりも第1次桂内閣に近い勢力になれると見込んで、内閣に接近しようとした。大石正巳 …

1列の関係・政界縦断(④)~縦断型政党の課題~

『林有造伝』は、伊藤を政党人化させることを先決問題として、林が片岡の離党を引き留めたとしている(401頁)。当時、党首選などというものはなかったし、党首就任の経緯、党の他の幹部、要人との関係によっては、それが独裁的な地位 …

1列の関係(④)~土佐派の2度目の離党について~

立憲政友会の党内民主化を求めた議員達が、非政党内閣であった第1次桂内閣に切り崩されるのは矛盾しているようにも見える。しかし縦断の一つの到達点に辿り着いた、つまり自ら薩長閥との境界線を薄めることに成功した自由党系には、縦断 …

1列の関係・優位政党の分裂(④、補足)~立憲政友会の分裂~

立憲政友会は、第1次桂内閣(山県-桂系)に切り崩された議員全員を、党外に放出するわけにはいかなかった。ウミを出すという考え方もあるが、それは現実主義の自由党系が選ぶ道ではなかった。立憲政友会はむしろ、第1次桂内閣と妥協し …

優位政党の分裂・実業派の動き・野党に対する懐柔、切崩し(④)~大都市における立憲政友会の動揺~

当時、立憲政友会には大阪市選出の3名、堺市選出の1名、大阪府郡部選出の4名の衆議院議員がいた。このうち大阪市選出の沢田佐助と横田虎彦、郡部選出の森秀次と植場平は、実際に12月6日から11日にかけて離党した。憲政本党との提 …

優位政党の分裂(④、補足)~政友会の革新運動と総裁専制の動揺~

本章第3極・実業派の動き(②)~壬寅会の挫折と中立派の右傾化~で触れた大阪一揆とは、総裁専制に反発する、立憲政友会員達が集まったものである。神戸での観艦式、大阪勧業博覧会があったために衆議院議員も多くいた、大阪で動きが起 …

2大民党制・1列の関係(④)~増税回避、異なる狙い~

2大政党が消極財政志向で事実上一致していたのは、地租増徴の継続を回避するという目的があったからだ。しかし帝国議会開設当初と違い、その裏には異なる志向があった。消極財政によって浮いた部分で、自由党系(立憲政友会)はインフラ …

1列の関係・2大民党制(③④⑥)~非優位政党に働く遠心力~

桂・伊藤合意が明るみに出ると、裏切られる形となった憲政本党の内部では、立憲政友会との連携に否定的であった対外強硬派が、反主流派として、勢いを強めていった(もちろん、ロシアが満州から撤退せずにいたことが、対外強硬派の勢いを …

第3極・実業派の動き(①②)~中立派と市部、山県系~

第8回総選挙後の第3極は、分化の程度を増した。当時の中立派には、少なくとも5つの勢力があった。それらを挙げると、壬寅会、壬寅会に参加できなかった中立倶楽部出身者を含む第1次桂内閣寄りの議員達、第8回総選挙前後に、立憲政友 …

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