右派も左派も必要
右派と左派、右翼と左翼という言葉は、冷戦が終結した今でも使われる。もうそんな時代ではないという声もよく聞くが、日々の仕事、暮らしに忙しい有権者が、政党の性質を判断する基準として利用するのに、なお有効だと、筆者は考えている …
右派と左派、右翼と左翼という言葉は、冷戦が終結した今でも使われる。もうそんな時代ではないという声もよく聞くが、日々の仕事、暮らしに忙しい有権者が、政党の性質を判断する基準として利用するのに、なお有効だと、筆者は考えている …
さて、そもそも1党優位制の何が問題なのか、ここで考えてみたい。自民党1強であっても、良い政治が行われればよいのではないか? 国民が自由に投票して生まれた状況なのだから問題ないのではないか? これが違うのである。よく耳に …
上で見た無駄な繰り返しは、重要な教訓を与えてくれている。まずは何と言っても、政治家が長期的な視野に立ち、様々な展開を想定することが重要だということである。主導権、あるいは特定の政策を巡って対立をしても、共に進んでいくしか …
第3極も同じである。みんなの党は日本維新の会への合流を拒んだ。しかし、かつてみんなの党を率いていた渡辺喜美は、日本維新の会の流れを汲むおおさか維新の会の、参議院議員となった。みんなの党解党後の、2014年の総選挙で落選す …
自民党を、結成38年で初めて野党に転落させた細川内閣の成立は、日本においては画期的なできごとであった。しかし、この非自民・非共産連立政権は、小沢一郎新生党代表幹事と、武村正義新党さきがけ代表・日本社会党左派との対立によっ …
「結局やるんだったら、もっと早くやっておけばよかった」というような経験は誰にでもあるだろう。そのようなことが繰り返されているのが、日本の野党である。昨日の敵は今日の友ということは政界ではよくあり、戦略上、実際に必要なのだ …
戦後の日本の政党政治に影を落としたのは、社会党(左派)の、あまりに非現実的な性格であった。新党ブームが何度も起こった背景には、別の、あるいは変身した野党第1党が欲しいという、日本人の願いがあったと言えるだろう。 しかし、 …
日本では五十五年体制崩壊後、たびたび新党ブームが起きている。戦後の新党ブームを見てみよう。 比較的長く続き、汚職の疑惑などもあった吉田茂内閣に飽きたきた国民は、その吉田との抗争の果てに誕生し、左右両派社会党の消極的な支持 …
第1党になることもなく、約3年間で第2党の地位を明け渡した新進党であるが、その失敗の原因には、様々なことが挙げられる。寄せ集めゆえの統一性の弱さ、小沢主導(→小沢の自民党への接近)に対する反発、1996年総選挙の時の消費 …
日本人が自ら政権交代を起こしたといえるのは2009年だけだということを、以前述べた。だが、それだけではない。優位政党に対する挑戦者であることの多い野党第1党を、自ら別の党に取りかえたということも、実はほとんどない。それを …