歴史・冷戦後編No.14~19
歴史・冷戦後編No.14 第1次小泉内閣期の民主党は内部で動揺しただけでなく、同党が優勢だった市部に限って選挙区の定数を増やす(小選挙区をやめる)というような発言を野中自民党幹事長がしたり、一部の議員を切り崩されたりしま …
歴史・冷戦後編No.14 第1次小泉内閣期の民主党は内部で動揺しただけでなく、同党が優勢だった市部に限って選挙区の定数を増やす(小選挙区をやめる)というような発言を野中自民党幹事長がしたり、一部の議員を切り崩されたりしま …
※ こちらは2021年の総選挙より前に書いて、公開していなかったものです。 維新の会は保守政党に分類され、その路線はかつての小泉自民党に近い。同時に、竹下派の流れが中心であった頃の、自民党のようになる可能性がある。大阪で …
維新の会の、これまでの離合集散を確認しておきたい。まず、日本維新の会は2012年、地域政党として結成されていた大阪維新の会の、国政版として結成された。大阪維新の会は自民党の分派であったが、日本維新の会に参加した自民党議員 …
冷戦が終わると、日本ではいくつもの保守新党が誕生しては消えた。主なものだけでも次の通りである。なお、冷戦期にも新自由クラブという政党が存在した。これはロッキード事件で揺れる自民党を離党した、若手議員らが結成した政党で、ブ …
今回の立憲の後退を見る際に重要なのが、「何から後退したのか」という事だ。そこで浮かび上がるのが、繰り返される再編と、その再編(と選挙)で膨らんできた、小選挙区落選・比例復活議員である。 前回の総選挙と今回の総選挙を比べる …
ここまで話が進んだところで、維新の会がどこからやって来たのか。確認することにしよう。 民主党政権が誕生するまでの10年くらいは、第3極らしい第3極は存在しなかった(民主党政権誕生直前の、衆参系5議席のみんなの党を除けば。 …
第3極も同じである。みんなの党は日本維新の会への合流を拒んだ。しかし、かつてみんなの党を率いていた渡辺喜美は、日本維新の会の流れを汲むおおさか維新の会の、参議院議員となった。みんなの党解党後の、2014年の総選挙で落選す …
2012年は、第46回総選挙における自民党の復権、民主党の大惨敗で終わったが、実は日本政治の一大分岐点であった。その機会が生かされることなく、2大政党制を通り過ぎて、1党優位制にまで逆行してしまったのである。その機会とは …
何度も気を取り直して票を投じてきた自民党に対する失望、それは、代わりの選択肢であった民主党に対する失望で容易に変わるものではなかった。民主党(政権)に対する失望は、選挙に行かなくなった有権者と共に、民主党から自民党に投票 …
みんなの党と日本維新の会のたどった道を見ると、創設者(みんなの渡辺と維新の橋下)の頑固さがあだとなっていることが分かる(今では、同じく、というよりも維新の本当の創設者であるとも言える松井一郎の頑固さも気になる)。両党は政 …