日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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書簡

・伊藤博文関係文書研究会編『伊藤博文関係文書』(塙書房)各巻 ・尚友倶楽部品川弥二郎関係文書編纂委員会編『品川弥二郎関係文書』(尚友倶楽部)各巻 ・大久保達正監修、渡邊幾治郎編『大隈重信関係文書』(日本史籍協会)各巻 ・ …

第7章

①選挙制度 衆議院議員選挙法の改正(第6章⑪参照)により、府県単位の大選挙区制となった(さらなる同法改正により、新たに人口3万人以上となった市、人口要件を満たしており、新たに市制が導入された市が独立した選挙区となり、横浜 …

カナダ

1841年、フランス系とイギリス系による、イギリスの連合カナダ植民地が成立し、1842年、イギリス系の保守派、フランス系のブルー派(穏健保守の対イギリス系柔軟派)による改革派政権が成立した。イギリスの自由貿易政策によって …

ニュージーランド

当初は自由党と保守派が対峙していた。過半数を上回る議席を得ていた自由党政権が約21年続き、その末期、保守派は改革党という政党を結成した。そして1912年、改革党への政権交代が実現した。その間、自由党から進歩派が離党し、新 …

オーストラリア

オーストラリアは当初、保守的な自由貿易派、自由主義的な保護貿易派という、やや特殊な2つの勢力と労働党の、鼎立状態であった。しかし当初やや劣位にあった労働党の伸張に対抗して、自由貿易派と保護貿易派が合流して自由党を結成した …

ポルトガル

※特に、立石博高編『スペイン・ポルトガル史』を参照した。 1820年の自由主義革命の後、自由主義者と、それに反発する保守派が対立した。対立は内戦を経て自由主義者の勝利に終わったが、自由主義者達は穏健派と急進派に分裂した。 …

スペイン

※特に、立石博高・若松隆『概説スペイン史』(有斐閣、1987年)を参照した。 1812年に立憲君主制となり、政権を得た自由主義者が漸進的に自由化を進めたが、これに飽き足らない、より進歩的な勢力が分離し、政権を得た。一方で …

アイルランド

アイルランドは自治や独立を求める政党の議員などを、イギリス(大英帝国)の庶民院に送り出していた。独立に否定的な統一党(保守党)内閣期の1918年の総選挙では、穏健であり、それまでの主流派であったアイルランド議会党が大敗し …

イギリス

※19世紀については、特に君塚直隆『イギリス二大政党制への道』を参照した。 イギリス国教会でない、カトリックの国王を認めるかという問題について、貴族院と庶民院に、容認派のトーリと反対派のホイッグが形成され、それが政党へと …

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