日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
投稿者: <span>伊吹健</span>

社会(民主)主義以外の全政党が合体してできた自民党 アメリカの支援も

自民党は、歴史の長い政官財の癒着構造の中で、大量の資金、票を得てきた。それを実現することができたのは、財界の支持を受ける勢力が結集した政党であるからだ。 官僚の中には社会主義的な官僚もいたが、それらですら、社会党の独占と …

第3極の2極化

2大政党(自民党と民主党)が共に新自由主義的だとは言えない状況下、日本の政界に、新自由主義派として、第3極が復活した。みんなの党の誕生である。 小泉政権によって自らの支持基盤を削った自民党が、安倍内閣以降、新自由主義から …

人気者に頼るという第2党交代の問題点と、中途半端な再編の繰り返し

社会党から新進党への、そして民進党から希望の党への第2極の交代は、共に短いものであった。特に後者(希望の党が第2極であった状況)は、一瞬で終わった。新進党崩壊後の動きと希望の党の動きには、共通の問題がある。 新進党の解散 …

民主党は、かつて第3極だった

新進党の結成によって、社会党はついに第3党に転落した。しかしそれは有権者が直接そうしたのではなかった。1993年の総選挙では社会党は半減してもなお、第2党であった。その議席数は511のうちの70議席であった(追加公認を含 …

五十五年体制の第3極

多くの政党の離合集散を経て、衆議院はほとんど自由民主党と日本社会党だけになった(共産党は1議席)。したがって五十五年体制には当初、第3極がなかったといえる。しかし1960年に社会党の右派の一部が民主社会党を、1964年に …

帝国議会開設当初の第3極

詳しくは、『キーワードで考える日本政党史』、『補論』で見るとして、戦前の「第3極」がどのようなものであったか、おおざっぱに整理する。 戦前の日本の2大政党は、板垣退助の自由党の系譜と、大隈重信の立憲改進党の系譜である。そ …

第3極も繰り返し出現

自民党に対する不満、民主党に対する不安と不満から、この10年ほど、第3極がブームになっている。しかしこのところ、それは急速にしぼんでいるように見える。このような第3極に対する期待と失望も、何度も繰り返されてきている。また …

自らの歴史を浅くした、民主党結成時の過ち

民主党→民進党は見ている方が恥ずかしくなるくらいゴタゴタすることが度々あった。党首となった人物は、議論もせずに新しいことを打ち出す。それに反対する議員が騒ぎ出す。それを収拾する知恵も強引さもなく混沌とする。気に入らなけれ …

日本社会党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   次に、自民党誕生後、つまり五十五年体制下の万年第2党、日本社会党の系譜を見 …

戦後、自由党系に対抗し得なかった改進党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   やっと優位政党の時代が終わり、対等な勢力の2大政党を中心とした、政権交代の …

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