1党優位の傾向・(準)与党の不振(①⑦)~変わらない結果~
与党という有利な立場にあった立憲政友会は、選挙前の議席をほぼ維持した。1議席減らしはしたのだが、元が多かったし、それは前の第10回総選挙の後の、入党者によって増えたものであった。第10回と11回の総選挙の結果をと比べると …
与党という有利な立場にあった立憲政友会は、選挙前の議席をほぼ維持した。1議席減らしはしたのだが、元が多かったし、それは前の第10回総選挙の後の、入党者によって増えたものであった。第10回と11回の総選挙の結果をと比べると …
①選挙結果と衆議院議長選挙 自由党107、立憲改進党49、立憲革新党39、国民協会32、 帝国財政革新会5、中国進歩党4、無所属64、計300 自由党が議席を減らし、対外硬派は、立憲改進党が微減したものの議席を増やした。 …
詳しくは、『キーワードで考える日本政党史』、『補論』で見るとして、戦前の「第3極」がどのようなものであったか、おおざっぱに整理する。 戦前の日本の2大政党は、板垣退助の自由党の系譜と、大隈重信の立憲改進党の系譜である。そ …
実業家層には本来、その全てにとは言わないまでも、自らの利害を代表する政党が必要であった。当時議会制を採っていた他の国々を見れば、商工業を主な支持基盤とする政党と、農業を主な支持基盤とする政党が分立していた。ドイツ帝国のよ …
第3極が上下左右に引き裂かれる状況(図補-I参照)は、一度薩長閥と民党の対立が復活しただけで、すぐに変わるものではなかった。第3極は、右から国民協会、山下倶楽部、同志倶楽部と、3つに整理されたものの、薩長閥側、中立、民党 …
吏党系の分解と、それによって生じた勢力や吏党系の系列化は、その原因である薩長閥政府自体にも、大きな影響を与えた。衆議院における多数派形成の行き詰まりである。薩長閥は、自らの首を絞めていたのである。 第1次松方内閣期まで、 …
第2回総選挙後、吏党系の分裂によって誕生した実業団体は、()付きで中立実業派に分類している。吏党系の分派という面を持っており、吏党系と何が変わったのかが定かでない以上、中立と断言して良いのか、難しいところである。しかしど …
薩長閥に重要視されなかったこと、薩長閥の不統一によって吏党の系譜は度々不振に陥り、また不振を脱することができなかった。吏党系の度重なる分裂を整理しつつ、議席数の変動という面から確認していきたい。 衆議院の政党、会派の力の …
4極構造はあったのか、あったとすれば、その起点はどこであったのだろうか。これまで見てきたことを踏まえて、第3極の諸類型の誕生を確認することで、答えを導き出したい。 薩長閥と民党の対立は、衆議院では吏党と民党の対立であった …
吏党系、衆議院の他の薩長閥政府支持派の状況を見ていくと、それらのほぼ全てに、同様の現象を確認することができる。ここで整理しておきたい。薩長閥政府支持派を、以下の4つとする(上の2つがここで、吏党系としているものである)。 …