日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
投稿者: <span>伊吹健</span>

3-21. 2つの対立軸による細分化

第4回総選挙後の実業家中心の会派の再編が、具体的な政策課題を要因として行われたことを示す史料は見当たらない。その経緯を見ると、再編は新旧の内閣の中心を担っていた勢力との、それまでの距離、あるいは望む距離によるものであった …

3-20. 増えていった会派

1890年代、薩長閥内において政権の中枢を担う勢力が交代する度に、あるいは交代する流れとなる度に、吏党の系譜は分裂を繰り返し、中立実業派は再編された。ただし第3次伊藤内閣成立後について見れば、国民協会の分裂はなかった。中 …

3-19. 実業派の誕生

第2回総選挙後、吏党系の分裂によって誕生した実業団体は、()付きで中立実業派に分類している。吏党系の分派という面を持っており、吏党系と何が変わったのかが定かでない以上、中立と断言して良いのか、難しいところである。しかしど …

3-18. 薩長閥の不統一と吏党の分裂

薩長閥に重要視されなかったこと、薩長閥の不統一によって吏党の系譜は度々不振に陥り、また不振を脱することができなかった。吏党系の度重なる分裂を整理しつつ、議席数の変動という面から確認していきたい。 衆議院の政党、会派の力の …

3-17. 第3極の諸類型の誕生と4極構造の出現

4極構造はあったのか、あったとすれば、その起点はどこであったのだろうか。これまで見てきたことを踏まえて、第3極の諸類型の誕生を確認することで、答えを導き出したい。 薩長閥と民党の対立は、衆議院では吏党と民党の対立であった …

3-16. 民党間の「連結器」が果たした役割

薩長閥政府への接近に反発して自由党の系譜を脱した議員達が果たした、民党間の「連結器」としての役割について考えてみたい。 まずは、彼らが連携相手と合流して結成した党派について確認する。①の同志倶楽部は同盟倶楽部と合流、立憲 …

15. 改進党系の分裂

⑭自由党系の分裂で見た期間における改進党系についても見ておきたい。薩長閥への接近について、自由党系に遅れをとることが多かった改進党系には、当初、分裂はあまり見られなかった。進歩党の解散まで、衆議院議員の集団離党は、第2次 …

14. 自由党系の分裂

自由党系の分裂は、大正期(≒桂園時代の終焉)までは、3つの時期に集中しているといえる。なお、自由党系は3つの時期における分裂による議席の減少を、分裂が終わってから2回目の総選挙を待たずに、約半数から大部分、回復している( …

12. 薩長閥政府支持派に共通する傾向

吏党系、衆議院の他の薩長閥政府支持派の状況を見ていくと、それらのほぼ全てに、同様の現象を確認することができる。ここで整理しておきたい。薩長閥政府支持派を、以下の4つとする(上の2つがここで、吏党系としているものである)。 …

Translate »