日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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アメリカ

アメリカはイギリスに対する独立戦争で勝利し、王党派は国外に逃れた。国王などの権威による支配だけでなく、民衆の多数派による支配をも避けるため、大統領と議会がそれぞれ選挙で選ばれる、分権的な政治制度を採った。大統領も上院議員 …

理想主義と現実主義

優位政党の自民党は、かなりの現実主義だ。それに対して野党第1党は、野党の時は理想主義的であるのに、与党になると現実主義的になる(ならざるを得ない)。これは左派政党に限ったことではない。新進党は、1996年の総選挙において …

ノルウェー

スウェーデンからの独立へと進む中、親スウェーデンの面がある保守派と、独立志向の強い自由派の対立があった。自由派は農民と協力し、自由党(左翼党)として政党化されていった。そして1884年に政権を獲得し、保守党と自由党が交互 …

デンマーク

デンマークでは、自由派(左翼党を結成、現在の正式名称は左翼・デンマーク自由党である。)、新たに下院に進出した社会民主党(1871年結成)が、下院を基盤とする内閣の成立を主張した。1859年から1865年は基本的に、民族主 …

第5章 ~1898年3月、第5回総選挙~

① 選挙結果 自由党98、進歩党94、国民協会22、鹿児島政友会7、 公同会6、新自由党2、東北同盟会2、無所属69、計300 自由、進歩両党が伸びた。分裂によって議席数が減っていた自由党は、進歩党を抜いて第1党に返り咲 …

第4章 ~1894年9月、第4回総選挙~

①選挙結果と衆議院議長選挙 自由党107、立憲改進党49、立憲革新党39、国民協会32、 帝国財政革新会5、中国進歩党4、無所属64、計300 自由党が議席を減らし、対外硬派は、立憲改進党が微減したものの議席を増やした。 …

無意味に繰り返される新党ブーム

日本では五十五年体制崩壊後、たびたび新党ブームが起きている。戦後の新党ブームを見てみよう。 比較的長く続き、汚職の疑惑などもあった吉田茂内閣に飽きたきた国民は、その吉田との抗争の果てに誕生し、左右両派社会党の消極的な支持 …

自民党の先祖もダメな野党第1党

繰り返しとなる部分もあるが、忘れてはならないと思うのは、自民党の先祖もまた、初めて政権を得た時(自由党と進歩党が合流した憲政党の第1次大隈内閣)には、民主党のようにみっともない党内抗争に明け暮れ、たったの4ヶ月で倒れこと …

傷だらけの日本進歩党→民主党

戦後の改進党系の系譜を見ると、日本進歩党はすでに述べた通り、圧倒的な第1党として出発しながら、ほとんどの議員が公職追放され、その後の第22回総選挙で第2党となった。しかし戦後の日本進歩党系の問題点は他にあったといえる。 …

進歩党の敗北

立憲改進党は、指導者であった大隈重信が薩長閥政府の外務大臣となり、外国人が被告となる裁判への外国人判事の任用を認めることで、不平等条約の改正を実現させようとした。このことから、立憲改進党は第1回総選挙の当時、人気を落とし …

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