日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
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無意味に繰り返される新党ブーム

日本では五十五年体制崩壊後、たびたび新党ブームが起きている。戦後の新党ブームを見てみよう。 比較的長く続き、汚職の疑惑などもあった吉田茂内閣に飽きたきた国民は、その吉田との抗争の果てに誕生し、左右両派社会党の消極的な支持 …

自民党の先祖もダメな野党第1党

繰り返しとなる部分もあるが、忘れてはならないと思うのは、自民党の先祖もまた、初めて政権を得た時(自由党と進歩党が合流した憲政党の第1次大隈内閣)には、民主党のようにみっともない党内抗争に明け暮れ、たったの4ヶ月で倒れこと …

傷だらけの日本進歩党→民主党

戦後の改進党系の系譜を見ると、日本進歩党はすでに述べた通り、圧倒的な第1党として出発しながら、ほとんどの議員が公職追放され、その後の第22回総選挙で第2党となった。しかし戦後の日本進歩党系の問題点は他にあったといえる。 …

進歩党の敗北

立憲改進党は、指導者であった大隈重信が薩長閥政府の外務大臣となり、外国人が被告となる裁判への外国人判事の任用を認めることで、不平等条約の改正を実現させようとした。このことから、立憲改進党は第1回総選挙の当時、人気を落とし …

戦後、自由党系に対抗し得なかった改進党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   やっと優位政党の時代が終わり、対等な勢力の2大政党を中心とした、政権交代の …

戦前の非優位政党再編の総括

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   戦前の第2党を中心とした再編のポイントは、本来立憲改進党と同様に薩長閥と対 …

改進党系の苦悩

※『政党、会派の系譜』の「主要政党・派閥簡略系譜」のような、簡易的な政党の変遷を参照しながら読んで頂けると分かりやすくなると思う。   帝国議会開設当時の衆議院における第1、2党は、立憲自由党と立憲改進党であっ …

戦後初、総選挙の結果を踏まえた政権交代の問題点

ここで、まともな政権交代とはし得ない、つまり有権者が政権を選択したとはいえないと評価した、第23回総選挙後の政権交代を、その前後の状況と合わせて見ていく。日本の議会史上初めて、社会(民主)主義政党が第1党となった総選挙で …

「政権交代」後の失敗をなぜ、何度も何度も繰り返したのか

日本が経験した16回の政権交代を挙げた。そのうちの①(第3次伊藤内閣→第1次大隈内閣)、②(第2次山県内閣→第4次伊藤内閣)、⑧(清浦内閣→第1次加藤高明内閣)⑬(第1次吉田内閣→片山内閣)、⑮(宮沢内閣→細川内閣・次の …

15. 改進党系の分裂

⑭自由党系の分裂で見た期間における改進党系についても見ておきたい。薩長閥への接近について、自由党系に遅れをとることが多かった改進党系には、当初、分裂はあまり見られなかった。進歩党の解散まで、衆議院議員の集団離党は、第2次 …

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